白と黒の恋人たち フィリップ・ガレル

たとえばイタリア映画を観たいとか、ドイツ映画を観たい、とかあんまり思わないわけですけど、フランス映画を観たい、とときどきすごく思うときがあるわけです。あの雰囲気、パリの街並み、フランス人特有の機関銃のような会話の応酬、少し野暮ったいが美しい女性、苦悩する芸術家の肖像、そして男と女。それはたとえばジャン=リュック・ゴダールだったり、エリック・ロメールだったり、〝ヌーヴェル・ヴァーグ〟の監督が多かったりするわけですけれど、僕はこのフィリップ・ガレルの映画が強烈に観たいと思ったりするのです。

白と黒の恋人たち [DVD]

白と黒の恋人たち [DVD]

原題:Sauvage Innocence

監督:フィリップ・ガレル/撮影:ラウル・クタール

出演:メディ・ベラ・カセム、ジュリア・フォール、ミッシェル・シュボール

2001年/フランス/117分/シネマスコープ/モノクロ/ドルビーSR/配給:ギャガ・コミュニケーションズビターズ・エンド

 ヴェネチアで国際映画評論家連盟賞を受賞した、2001年、日本では2002年に公開されたフィリップ・ガレルの作品です。
ガレル本人を彷彿とさせるメディ・ベラ・カセム演じる映画監督のフランソワが主人公です。物語はジュリア・フォール演じる女優志望のリュシーと出会うところからはじまります。
原題は“SAUVAGE INNOCENCE”といって、それはこの作品の中で撮影される映画タイトルでもあるんです。
フランソワは映画製作の資金集めに苦労していて、やがてシャスというひとりの男と知り合います。胡散臭い男で、金を出してやる代わりに、ヘロインを運ぶ手伝いをしてほしいと彼に持ちかけてきます。
そもそもフランソワが映画で撮ろうとしていたのがヘロインを素材にした作品であって、この作品はヘロイン中毒で死んでしまった実在した女性をモデルにしたという設定になっています。実際にこれはガレル自身が生前に交際のあった女優のニコ(ヨーロッパの映画女優、アンディ・ウォホールのプロデュースしたロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの初期メンバーのひとり)を素材にしていて、つまり「事実」と「虚構」、「映画内」と「映画外」が互いに侵犯をするような映画になっているわけです。

※               ※

作品自体も中途からその作品内部の演技のシーンが多くなっていく。いったいどれが虚構でどれが実際のものなのか一瞬判別つかない感覚に陥る。主役を演じたリュシーが役に苦しみだして、ヘロインに手を出してしまいます。なぜフランソワがキャロル(ニコ)をそれほど愛したのか、それは彼女がそれほど苦悩していて、彼が彼女を愛することで己の苦悩を浄化していからだと理解していき、それについていけない、と打ちひしがれていくんです。
事実が虚構に飲み込まれてしまう逆説が、映画内でだんだん起こっていく。ふたりの愛は実際にガレルとニコがそうであったように、ここで撮られている“SAUVAGE INNOCENCE”の内容がそうであるように、暗い悲劇となって幕を閉じます。

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この映画の狙いは簡単にいえないと思いますけれど、ひとつに事実と虚構の侵犯関係ということがあるのは間違いないと思います。ガレルは私映画と呼ばれる作風を持つ映画監督で、自分のことを題材にした作品を多く撮っています。ただ重要なのは彼が個人的な出来事を映画の題材としているというのは、映画とはなにかを問うためにそうしているということです。
この作品では監督であるフランソワが自らの出来事を映画に撮ろうとします。映画が現実を真似るのではなく、現実が映画を真似る逆転が起こっていく。しかし役に苦悩しているリュシーが悩んでいるのは、フランソワに対する愛情ゆえの現実的な感情であり、ここで重要なのは、なにより写真でしか登場しないキャロルの存在にほかならないのです。
「これは事実なのか?」と脚本のことを問われたフランソワが「虚構の物語だ」とうそぶく場面がありす。 実際にそれが事実なのかフィクションであるのか観客にはわかりませんし、実は監督以外、主演女優にもわかっていないのです。
この映画は、「映画内」と「映画外」、「事実」と「虚構」の互いに侵犯しあう関係の作品ですけれど、その内在にあるのは実はすでに死んでしまっている“キャロル”の存在なんです。
この映画が真に撮ろうとしているのはキャロルの姿であり、彼女になりきろうとしてヘロインに手をだしていくリュシーが向かうのはそこであって、犯罪だと知りながらも密輸に手を貸して映画の資金を確保しようとするフランソワもまた、そのように悪魔に魂を譲り渡すことでキャロルに近づいていこうとしていくんです。
ガレル自身の心の奥に迫っていくように、観る者にもその慟哭が迫ってくる。残酷に満ちた「事実」と「虚構」の侵犯関係はそのために存在して、それが向かう場所は死であり、そして愛であり、映画なんですね。

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フィリップガレルは1948年にフランスのブローニュ=ビヤンクールで生まれました。ゴダールらの“ヌーヴェル・ヴァーグ”らの監督たちとはひとつ下の世代で、“ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ”と呼称された監督です。同じフランスの『ラ・ピラート』(1984)のジャック・ドワヨインなんかと同じグループにくくられることが多い監督です。
ゴダールらに影響を受け、極めて個人的でマイナーな作品を若いときから撮り続けています。代表作は『秘密の子供』(1979)『恋人たちの失われた革命』(2005)あたりですかね。多くのフランスの監督が失速していく中、良質な映画の輝きを失っておらず、商業映画であっても作品はインディペンデントな意思に貫かれた性格を持っています。だからといってひどくアバンギャルドな映画ではなくて、男女の恋愛を描いた小さな物語が多いです。

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僕が最初に観たのが『自由、夜』(1983)だった。次にヴェネチアで銀獅子賞を受賞した『ギターはもう聞こえない』(1991)を観て、実は最初ガレルはピンと来なくて、横に置いちゃったんですね。
僕は『汚れた血』(1986)のレオス・カラックスが大好きで、ガレルはちょっと地味、という印象でした。でも、年をとっていくほどガレルの映画が好きになっていって、この映画も最初は爽やかな香りさえする佳品だなとか思ったんですが、何度も観返すうちに、とんでもなくいい作品だ、という印象に変わっていきましたね。
撮影はラウル・クタールで、ゴダールトリュフォーの映画で有名な人です。本当にモノクロの映像が美しくて、ピアノの音楽も素晴らしいです。華やかでドラマチックな内容じゃないですけど、とにかく映画たろうとする作家の熱みたいなのが凄いクールに伝わってくる作品です。
ラスト、リュシーが意識を失って地面に倒れた姿で発見されて映画は終わります。ストーリーが切断されるように主演女優の事故によって不意に終わります。それは実際にニコが事故死したのと同じように終わるわけです。
この映画は不慮の事故で突然この世を去った恋人の死からはじまり、現在の恋人の事故によって終わります。死からはじまって死で終わる。どこにも辿りつかないし、未完なのです。
映画の最初のほうで大物プロデューサーが、「君の映画はいつも未完成だ」とフランソワにいい放つ場面がありますが、その批評を撃つかのごとく、未完の作品をまさしくこの映画は打ちだしています。この作品のインディペンデントたろうとする意志を起立しているわけです。

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フィリップ・ガレルという人は、ゴダールやカラックスみたいな技術的にエキセントリックなことをやってやろうという監督ではぜんぜんなくて、密度の濃い人間ドラマを撮ろうとして、しっかり骨格を持った物語を作る人です。とりわけこの『白と黒の恋人たち』は、かなり客観性に立った立ち位置で通俗性も意識した恋愛模様を描いて、非常に優れた彼の代表作のひとつだと思います。
普通にTSUTSYAにあるので。フランス映画好きで未見の人はぜひ観て欲しいです。「彼は息をするように映画を撮る」は、ゴダールがガレルを評した言葉です。まさにフランス映画っ、て感じですね。

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