徳田秋声記念館に行きました

石川県金沢は日本近代文学のその歴史において、偉大な三大文豪を生んだ街として知られています。ひとりは泉鏡花(1873-1939)、ひとりは室生犀星(1889-1962)、そしてもうひとりが徳田秋声(1872-1943)です。本当は「声」は旧仮名遣いで、秋聲、と書きますけど、今回は「秋声」でとおします。すいません。

徳田秋声記念館では、2016年の7/24-10/29までは企画展を開催していまして、「康成、秋声を読む。」と題されたものです。

泉鏡花記念館も、室生犀星記念館も、金沢にはあるんですが、それぞれときどき企画展なり、イベントをやっています。

それで今回は徳田秋声レビューです。文学展のレビューはちょっと難儀なので、ぼく個人にとっての秋声文学に対する感触、といった感じで、文章を書きます。

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まず、冒頭から、こんなことをいってしまうと、読者の気持ちを損ねるかも、と杞憂しますけれど、金沢の三大文豪の中で、秋声はもっとも知名度が低いです。専門の分野でも、研究対象にしている方も少ない。理由は、なぜか? その作品の持つ「地味さ」にある、とまずいっていいと思いますが、最たる理由は、「わからない」というところにあるのは明白だと思います。

実際に徳田秋声という作家の名前を、文学通の人ならば知らない人はいないと思いますけれど、「秋声論」を書いた批評家は限りなく少ない。たとえば、日本近代文学の最も高名な文芸批評家である小林秀雄は、秋声の中期の代表作である『仮装人物』(1938)に対し、「この奇妙なる恋愛小説の急所といふ様な部分を、批評家根性を出して見附けようとしてもなかなか見附からない。あらゆる処で、ひようたん鯰である」といっています。戦後を代表する思想家である吉本隆明も「秋声のみわからない」といいきっています。中上健次の秋声の問いに、元東大学長でフローベール研究家である蓮實重彦も逃げるような発言をしています。実際、ぼく自身も日本の近代小説を纏めて読んだ時期があったんですが、ひとりだけわからない、と思ったのが、徳田秋声だったわけです。

けれども日本最初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が、徳田秋声こそが近代日本の最高の小説家だ、といっていることを、聞き逃すことはできないでしょう。今回はその川端康成の視点を通した「秋声展覧会」が催されているわけです。

川端が秋声を評したとても有名な言葉があります。

「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋声に飛ぶ」。

もうひとつ秋声を論じるときに出てくる言葉を記しておく必要がある誘惑に駆られます。夏目漱石が秋声の代表作『あらくれ』(1915)を評した言葉です。

「秋声の小説にはフィロソフィーがない」。

……なにが秋声の文学的核心か?

www.kanazawa-museum.jp

今回の企画展は、近代小説のドン、文壇政治家、ともいわれた、川端康成がどれほど徳田秋声という作家を賞賛していたか、そのことを彼の言葉を通して紹介する内容のものです。パネルを通して、康成の秋声への発言が、様々に書かれてあり、もちろん秋声の生原稿や、書斎を再現したものや、貴重な愛用品なども展示されてありました。

当時川端康成という作家は日本の狭き文壇に留まらず、その外側にまで政治力を発揮するほどの力を持っていましたが、彼が惜しみなく絶賛した作家は秋声のみです。もちろん坪内逍遥森鴎外島崎藤村夏目漱石正宗白鳥泉鏡花谷崎潤一郎武者小路実篤志賀直哉横光利一らにも高い評価を与えていますが、秋声は別扱いです。方や、漱石は、文章は非常に達者だ、と秋声を褒めていましたが、やはり正当に評価してはいなかった、とぼくは思っています。漱石朝日新聞への紹介で、秋声は大きな飛躍をつかんだといってもいい経歴があるんですが、先ほどいったように、フィロソフィーがない、といわれている。

もともと漱石は当時文壇の主流であった自然主義小説に対してよい印象を持っていなかったわけで、これは自然主義小説そのものを評した言葉だといっていい思いますが、実際秋声のどの作品でもよいですけど、その小説を読むと、そのリアリズムの作風は淡々と人物が描かれ、ストーリーの起伏もなく、ドラマティックな展開がない、さらに地味で、陰鬱で、苛酷なことばかりで、読んでいて嫌になってくる笑。いったいなにを描きたいんだ? と思われても不思議ではないです。でも、根本的に秋声の文学には途方もない「奥行」があるわけです。これを見抜いた者こそが、川端康成だったわけです。

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梅ノ橋です。橋を渡ったところに「徳田秋声記念館」はあります。

小説家の起源―徳田秋声論

小説家の起源―徳田秋声論

この著作は、2000年に上梓された「徳田秋声論」です。入門書としては最適じゃないかな、と思います。秋声論は本当に少ないのです。

大杉重男氏という文芸評論家は群像の評論賞から出た人で、そのときの入選作が秋声の代表作『あらくれ』を論じた「『あらくれ』論」でした。徳田秋声のたぶん最も親しまれているだろう、その『あらくれ』のストーリーを、ざっと紹介します。

ある平凡な一家の養女として育てられた、主人公お島が、勧められる結婚を拒否して、家を飛び出して自立していく物語です。若くて教養もない彼女の人生がうまくいくわけはなく、波乱に満ちた未来が待ち受けています。実母や養父や様々な男に翻弄されるお島。この作品で重要なのは、そのお島があらゆるものごとを、たとえば制度的な結婚や金銭や性を、拒否しているということです。彼女が精をだすのは、労働のみです。しかし、それが生産性を生む故だとは、到底いいがたい。お島があらぶるがごとく働くのは、それがまったくなにものも生み出さない非生産=ルーティンワークだからです。

大杉氏がこの論で注視しているのは、その小説内の至るところに蔓延っている「水」の存在感です。養父、実母からの脱出を図ろうとするお島は、その都度連れ戻されたりして、結婚、離婚を繰り返し、その「孤児」性を露にしていきます。

当時『あらくれ』は、漱石の『道草』(1915)同様、「ありのまま」を描いた自然主義小説として評価され、今なお語り継がれて、読み継がれている文学作品だと思いますが、仔細に見てみるならば、そこには極めて巧妙な作者のレトリックが読み取れます。つまるところこの小説は、「物語」の誘惑に逆らおうとしながら、再びそこに引き戻されてしまう、そのお島という女性像に託された、まさしく小説=捨て子、を描いた作品なわけで、自然主義的な小説とはいいがたい。

秋声文学に難解さが付きまとうのは、表面的に現れた、そのリアリズムに寄り添って常に作品が親しまれてしまうためであり、逆側の位相、「物語」の観点からその作品を読むと、なにを表現しているのか、別のベクトルが照射されることです。

徳田秋声が描いた小説の多くは、この主人公のお島のように、ある種不幸を背負った社会の底辺に生きざる得ない貧しい市井や農民や労働者を描いたものが多いです。私小説も書いていますが、基本的姿勢は変わらないとぼくは思っています。とにかく生きることに苦労をしていきます。ストーリーにおいてドラマティックな展開はなく、心理描写も希薄です。しかし、それが平坦であるのは、自然主義小説の思想をなぞっているためでもなければ、「ありのまま」をただ記録しているからでもなく、「物語」の誘惑に逆らいながら、それに引き戻されるためです。秋声という作家は物語ったのではなく、言葉とはどうすれば「記すこと」ができるか、と苦心して、「物語」という生々しい「意味」と格闘することで、フィクションとしての言葉、を生み出そうとしたのです。

秋声文学を解するに、もうひとつ重要な論点を提出します。秋声は親友であった鏡花同様尾崎紅葉に師事しましたが、秋声を師事した、後の作家たちの名前をあげてみるのはとても都合がよいと考えます。葛西善蔵(1887-1928)、川崎長太郎(1901-1985)、林芙美子(1903-1951)、野口冨士男(1911-1993)ら、たとえば林芙美子のが描いたその自伝的作品に、秋声の影響を見てとることは難しくはないでしょう。秋声の功績として、自立した女性像を描いたことは、近代小説として重要な論点です。さらに、破滅型を造ったといわれる大正期を代表する私小説作家の葛西善蔵のその文学観にもまた、秋声に倣ったものが大きいのは、誰の目にも明らかだと思います。

川端康成はこう書いています。

「およそ秋声氏程自分の生活を飾らずに書く作家はあるまい。飾らないことは、必ずしも文学の美徳ではない。なにげない記録と見せながら、現に秋声氏だって氏の「心境」で飾っている。飾っていながら、飾っていると思わせないだけのことだ。いや、飾ろうとも、飾るまいとも思ってはいないというのは、つまり氏の心境が、一市人であろうとする傾きを持ちながら、しかも最も文人らしい面影を備えているのだ。そこに大家の自らなるものがある。誰が何と、氏の生活を批判したところで、それは野分に吠える犬である。」

これをひとつの私小説論として差し替えてみても、なんら問題はないのではないか、とぼくには思えます。

さらに川端は、秋声の小説の特徴を、「人物が苦労の連続」であり、それは「記録」のようである故に、挨拶のしようがない、とも書いています。挨拶=批評することができない、といっているわけですが、実際、川端康成も秋声を評価しながら、小林秀雄同様、それを批評できない、といっています。批評できない小説が成立するのか? と疑問が湧きますが、しかし、秋声の小説は小説にはなっているわけで、つまるところ、それは恐るべき技術修練の賜物としか考えられない、と川端はいうわけです。ほかにも、秋声に影響を受けた、後年の作家に、古井由吉中上健次がいます。古井由吉は秋声の文学に表れた言葉を「空虚」だと語っています。日本の近代文学を読まれている方は、ここにひとつの水脈を感じ取ることができるんじゃないかな、とぼくは思います。

秋声文学を読み解く際に、彼が同時代の鏡花らと違って、最初大きく文学に躓き、後に独自の文学性を開花させていった、ということを今一度括目すべきだとぼくは思います。

彼は当時文壇で主流であった自然主義小説を己の技法としましたけれども、その大家である島崎藤村と比べてみると、どうにも違和感が拭えません。先ほど書きましたように、「言葉を記す」という徹底した秋声的考えを、藤村はあまり持っていなかった、とぼくは思っています。秋声の小説には、常に「物語」、それを死といってもいいですし、ある種の共同体、または明治期以前の日本、といってもよいです、へ帰ろうとする誘惑があり、それへの抵抗故に表れた、まさしく伝承とは違い、共同体とは違った個人として「記す」という書き言葉としての近代的自我を惹起させたということです。

そしてこれは、葛西善蔵は、まあ、個人的に面白く読みましたけれど、ちょっとよくわからないなあ、とぼくが思った川崎長太郎野口冨士男私小説にも、通じるところがある、とぼくは思えてならないです。ここで最初の定義した問題に戻って、再び想起してみます。漱石のいった言葉です。「彼の小説にはフィロソフィーがない」。それがなにをいっているのか、そこにどのようなズレがあるのか、それが少し光が射してくるものがあるように思えてこないか、と思うんですが、どうでしょうか?

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浅野川の風景です。金沢の空は東京のそれとは違う、澄んだ真っ青な空です。

こんな短いブログレビューで、徳田秋声なる100年にひとりの文豪を論じるのは不可能なことでしょう。そもそも頭の悪いぼくには生涯をかかっても、秋声を論じることは不可能です。

でも、ぼくは徳田秋声という小説家を大変尊敬しているんです。秋声と川端は、異次元というか、ぼく的には、このふたりは神的扱いなんです。明治期から大正期の作家は、鴎外であれ、荷風であれ、有島であれ、例外なく誰もが素晴らしいんですが、徳田秋声という作家は、自然主義小説から私小説の文壇の主流の小説家のひとりであったことは間違いないですが、同時に、非主流派と呼ばれる、作家群、鏡花をはじめ、漱石や谷崎らとも通じるところもあり、徳田秋声という作家は、昭和期においてただひとり「日本の近代小説」を書いた作家だと、ぼくは思っています。さらに付け加えて、もうひとり川端康成、そのふたりが日本の近代小説を為し得たとぼくは思っています。

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1F2Fが展示室で、休憩室からは浅野川が見られます。

近代小説というものが「自我の確立」というテーゼを目論んだものであるとするならば、秋声ほどそれを考え抜いて作品化した作家はいないんじゃないでしょうか。鏡花らの同時代のほとんどの作家が、西洋化・近代化の波に抵抗するように、擬古文に固執したり、リアリズム小説を批判したりして、それ以前の文学へと遡 行した「反文学」に光をあてたとするならば、秋声は自ら埋没して、一見西洋化に倣い、敢えて文壇の主流たる、その近代小説を描いたんですが、川端がいっているの は、秋声のリアリズム小説は、単に西洋化の模倣でもないし、自然主義の影響下それだけのものでもない、ということであり、まさに近代小説であった、ということです。そしてそれは西鶴に飛び、源氏にまで遡行する、日本文学の起立を孕んでいるということです。

秋声という人は最初まるきり文学の芽が出ませんでした。あまりのそのダメっぷりに、鏡花が、「じゃあ、もう一度紅葉先生におれが頼んでみるよ」と、一度叩いて退けられた尾崎紅葉門下生のひとりとようやくなるのですが、弟子筋の中ではいちばん地味で目立たなかった。そして最初からスターだった鏡花とはかなり長いこと関係は悪かったようで、後に秋声は「和解」(『勲章』に収録・1936)という小説を書いていますが笑。さらに紅葉を師匠と仰ぎながら、紅葉文学を否定するような作風に手を染めていくわけで、曲者もここまで極まれり、といった感じで、淡々としたその作風、作家の風貌からは想像ができない、血なまぐさいもの=歴史の継承と断絶の痕跡、があります。

徳田文学作品はいくつか映画化されていますけれど、最も新しいものだと、平成15年に、青山真治監督が「秋声日記」を撮っています。

::: 秋聲旅日記 :::

あと、徳田秋声記念館では秋声の主要作品文庫をネット注文で購入することができます。新潮や岩波、講談社文芸文庫でも、それらの作品のいくつかは購入可能ですが、この文庫は装丁が綺麗で、字体も見事です。少し値ははりますが、買って損はありません。この機会に秋声を読んでみてはいかがでしょうか? 秋声を読まないということは、日本の近代小説を読まないことと同じだ、とぼくは断言します。

書籍類 | オリジナルグッズ | 徳田秋聲記念館

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