アルバート、故郷に帰る ホーマー・ヒッカム

ロケットボーイズ』(1992)の著者、ホーマー・ヒッカム・ジュニアの新作です。正確なタイトルは『アルバート、故郷に帰る ―両親と1匹のワニがぼくに教えてくれた、大切なこと』。版元はハーパーズ・コリンズ社です。外国文学好きのひとりとしては、また新しいガイブンの出版社が、日本に現れたことを喜ばずにはいられません。ぼくはこの書籍は献本をしていだたいたのですが、ストーリーの内容を聞いただけで、面白いに違いない、と直感しました。

アルバート、故郷に帰る 両親と1匹のワニがぼくに教えてくれた、大切なこと (ハーパーコリンズ・フィクション)

アルバート、故郷に帰る 両親と1匹のワニがぼくに教えてくれた、大切なこと (ハーパーコリンズ・フィクション)

ストーリー

いつもはネタバレ全開で、ぼくは書籍のレビューを書いているのですが、この本については「献本」であり、また新刊間もない、ということもあって、ストーリーや解説は触り程度に留めて、紹介役に徹したいと思います。こんな感じの話です。

自らのNASAでの体験談をモチーフに描いた『ロケットボーイズ』同様、これもヒッカム自身が経験した実話を元にした作品なのですが、これは彼の両親の話です。ヒッカムの母であるのがエルシー。父がホーマーです。結婚当初アルバートという名のワニを、ふたりはバスルームで飼っていたというんです。でも、父のホーマーはその共同生活に耐えられなくなって、ワニをどこかの池に捨ててしまいたい気持ちになります。けれども妻のエルシーが「故郷のフロリダならいい」といいはり、彼らはそのため1000キロの旅をに出ることになるのです。実はそのワニのアルバートはエルシーが以前思いを寄せていた男性からの結婚プレゼントであった、ということが、ホーマーにはずっと屈辱的だったということがありました。要するに、そのワニを大事にしている姿勢は、=自分を愛してはいないのではないか、その以前の恋人のバディを思いつづけているのではないか、という証明にほかならない、とホーマーは憂慮するわけです。

この話のどこからどこまでが実話なのかははっきりしません。あとがきで翻訳者の金原氏がいっておられるように、でも、そんなことはどうでもいいことでしょう。重要なのは、そのアメリカ大恐慌という時代背景の最中、一匹のワニとさらに雄鶏も共にする旅の果てで、彼らが何を思い、何を発見し、何を残したのか、ということです。

内容について

とにかく翻訳が素晴らしいです。金原瑞人氏と西田佳子氏の手によるもので、「旅をはじめる前に」と題された最初の部分を少し引用します。

 母からアルバートの話をきくまで、うちの両親がそんな旅をしていたとは全然知らなかった。アルバートを遠い故郷まで連れていくなんて、危険だし、そうそうできることじゃない。知らないことばかりだった。両親がどうして結婚したのかも、両親がどんな経験を経ていまのようなふたりになったのかも。それに、母には好きでたまらない人がいて、その人がのちにハリウッドの有名俳優になったということも。大きなハリケーンのあと、父はその人と対面した。実際にハリケーンにあっただけでなく、心の中でも大嵐が荒れていたのだそうだ。アルバートの物語は、ほかにもいろんなことを教えてくれた。両親のことだけではない。両親がぼくに与えてくれた命について、大切なことを教えてくれた。自分がなぜ生きているのかわからなくなるときがあるが、それでも人はみな生きている。その命について、いろんなことを教えてくれた。

読了したぼくがこの書物の感想を述べるならば、これはひとつの寓話と呼べるものだ、ということです。ホーマーとエルシーのふたりはペットのワニであるアルバートを、故郷のフロリダに帰す旅の中で、ひどい騒ぎに巻き込まれたり、なぜだか野球選手になったり、看護師になったり、揃って映画に出演したり、面白いのはジョン・スタインベックアーネスト・ヘミングウェイが登場したりもするんですが、個人的に好きなのは、アルバートを目撃するたび人が、「クロコダイルか」というんですが、いちいちホーマーが「いえ、アリゲーターです」と言い直すんです。可笑しい。

小説中重要だと思う箇所があるので、さらに少し引用します。これらの箇所を読んでいただけたなら、この小説がどのような作品か、想像が膨らむんじゃないかな、と思います。

「オーランドじゃなきゃだめ。それに、オーランドの中でも、ちゃんとした場所を見つけてやらないと」

「ちゃんとした場所ってどんな場所なんだ?」

「それはアルバートが判断するわ」

「ワニになにがわかるっていうんだ」

「なにもわからなくても、しかたがないじゃない。ワニなんだから」

「ぼくがなにもわかってないのが大問題だといいたいのか?」

「あなたもわたしも、なにもわかってないのよ。要するに、わたしたちが正しいと思ってることは、ちっとも正しくないかもしれない。わたしが百万くらいいって、あなたが百万とひとついいかえしてきても、正しいことなんかひとつもないかもしれない」

これは「第1部」での旅へ出発する前の夫婦ふたりの会話です。さらに、

 エルシーは見つかった。

しかし、重要なのはそのことではない。

さがしたということが大切なのだ。

これは「第3部」での、ガソリンスタンドでちょっとした騒動に巻き込まれた際について、ホーマーが漏らす言葉です。

「きみは信じないかもしれないが、人生に偶然などないんだ。ヘブライの神がもっとも偉大だとしても、わたしはそのほかにも小さな神々がいると信じている。さまざまなことに目を配り、ときにはわたしたちの運命を決める神々がいるんだ。わたしたちの運命をもてあそんで楽しむこともある。宿命だ。この言葉を聞いたことがあるかね?」

これは「第8部」で、ヘミングウェイが宿命について論じる部分です。まさにこの作品を解く鍵が、アメリカ文学を代表する文豪によって語られています。もう一箇所だけ。

アルバートをフロリダへ連れていきたいとキャプテン・レアードに話したとき、こういわれたんだ。この旅は、人生の意味を知る旅になるだろうと。だが、逆だった。大きな謎ができただけだ。この謎はいつ解けるのかわからない」

「人生ってそいういうものなのかも。謎の連続。なんでもわかったような気になってるけど、なんにもわかってないんだわ」

やはり「第8部」で、災害に見舞われたホーマーとエルシーが会話する場面です。

※          ※

この『アルバート、故郷に帰る』という波乱万丈、荒唐無稽の自伝小説のテーマは、宿命、とひとまずいっていいと思うんですが、それを提示するのではなく、それがどういうものかを探っていくことが、ストーリーとなっているといっていいでしょう。とてもユニークでファンタジックに描かれた物語でもありますが、実は作品には巧妙な作者の意図が読み取れ、重要なのは、回想形式となっており、これは著者のホーマー・ヒッカム・ジュニアの記憶によって語られたものだということです。これは彼自身のルーツをめぐる旅です。それも事実を検証するのみの試みではなしに、その真相に深く辿り着くための。そしてなぜ、それがフィクションを必要とするのか、が最重要なことです。なぜならこれは人間の存在そのものを問うている旅であるからです。

最後に、ぼくがこの小説の最も好きな場面の引用をして、レビューを締めくくりたいと思います。

「もしかしたら、アルバートはわかってるのかもしれない。雄鶏もね。人生の意味や、人生がなんのためにあるのかわかっていて、それを話すことができないから、ぼくらに見せてくれているんだ」

これは先の「第8部」のふたりの会話のつづきで、ホーマーがいう言葉です。

ワニのアルバートと旅をするのは読者自身です。そこに見つけられるものは、まさに「大切なこと」にほかなりません。時系列に書かれた物語ですが、この寓話は人間の哲学的ともいえる、その存在のルーツを、ワニという古代生物と共に遡る旅でもあります。この旅にきっと終わりはないのだろう、とぼくは思って、名残惜しんで小説のページを閉じました。

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