作家は実体経済を無視する

先日ようやく第二作目となる長編の推敲が終わって、完全に脱稿しました。400字詰めで、569枚。今まででいちばん長い。もうこれ以上長いものは一生書かない。編集者には渡せるレベルには達しているんで、大丈夫でしょ。まあ、どんなものでも最低基準ってものはあるので。それで気が抜けている状態なんですけど、「経営学」「ビジネス」についても、最近並行してずっと学んでいて、ちょっとやっと扉が見えてきたかな、と思うところがあるので、今日はその話を書きたいと思います。

あと、当ブログですが、そろそろ閉鎖するか、まあブログはいくつあっても有益であるので、残すか、まだ明確に決めていませんが、とにかくぼくは次のステップへ進もうと思っています。これは「個人ブログ」なので、これまでは自由に適当なことを書いてきましたが、これからはソーシャルな形でフィードバック化も目論む方針なので、「収益化」を第一に考えます。これまでとはずいぶん違った姿勢方針となると思います。

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(音楽が まだまだ可能性があると知らしめた、八年ぶりの坂本龍一さんのアルバム。というよりも、2016年から、確実に世界的に音楽が新たに復活しはじめている。傑作。)

というわけで。以前、アートというのは「資本主義の形態」の、外側、にあるものだ、という話を書きました。同時に、それは矛盾するんですが、アートは資本の内にあるものなんですね。要は、ピカソの絵が何十億円するのはなんでか、という話です。

単に実体経済としてとらえるならば、たとえば、一冊¥1600の本が一万部売れたなら、印税として作家には10%なので、160万円入ってきます。年に二冊書けば、320万の収入になるわけで、現在やっていけないことはないですが、実際一万部刷ってくれる作家がどのくらいいるか、といえば、それだけで心もとない話です。

今回は、アートをとらえるとき、実体的な経済的観念は捨て去る、という話です。

たとえば、文芸誌なるものが未だに大手出版社は出しています。けれども、あんなもの誰も読んでいないわけです。にもかかわらず、出している。理由は、彼らが「文化」をやっているからですね。それが「軸」だからです。最初は、文芸をやっていたのに、それだけじゃ稼げないので、大衆小説を書く、さらにそれだけじゃ稼げないので、漫画を出す、さらにそれだけじゃ、で雑誌を出す、さらにそれだけじゃ、で不動産投資をする……その挙句に、雑誌も売れなくなるわ、漫画も売れなくなるわ、じわじわと負債が版元を襲っているわけです。

よくいわれるように、ますますこれから出版業界は二極化、つまり売れる商品と売れない商品とにさらに大きく分れていくでしょうし、企業は縮小していくしか道筋はないでしょうね。現在、有名作家でも初版が5千部とか、そういう時代になっています。でも、繰り返しますが、結局のところ、実売でアートをとらえるのはやめるという結論にぼくはやはり辿りつきました。ぼくは少し前までは、エンタメはまだいい、純文学系なんて、本当に誰も読まないわけだから、なくなってしまうんじゃないか、と懸念していたんですが、これは間違っているんじゃないかな、という気もしてきました。実は、危機意識を持たなければいけないのは、これからはエンタメの人たちのほうでしょうね。とにかく雑誌が売れない。専業作家が成り立っていたのは雑誌の連載があったからであって、雑誌の売り上げ低下は本当にネックですね。

ryumurakami.com

(村上龍さんが編集長を務めるメルマガ・サイト「JMM」。無料で彼の新作小説が読めます。私小説を書いている!)

たとえば、以前ぼくはセルフ・パブリッシングで電子出版しましたが、ぜんぜん売れませんでした。いちばんの理由は、「ブランド」がないからですね。欧米では、版元を通さない個人作家でも多くの売り上げを出す作家が現れてきていますが、日本はそうなっていない。いろんな理由も絡んでいると思いますが、大きなポイントは、日本的出版社の根幹と、さらにそれが作りだした読者の「概念」にあります。

話を戻しますが、なぜ売れない文芸誌をやっているか、というと、繰り返しますが、それが版元の「軸」だからですね。なぜ、売れない作家を抱えるのか。

以前でいうならば、べつの媒体で稼いだお金で、版元はいわば彼ら食えない作家を食わせていた。刷れば、印税が入るシステムになっていますが、今実売にしたら、今生業の作家の9割は死ぬでしょう。だからといって、「作家」なるものが、ただ単に、大塚英志がいったような「不良債権」なのか、といえば、彼のような人はアートをやはり「実体経済」としか見てないのであって、そうではありません。金銭の代わりに、作家も版元に与えているものがあるわけです。そこを見逃している。そもそもこれは「経済の本質」を見逃しているのと同じです。彼らは食わせてもらえている理由があるわけです。

さっきセルフパブリッシングの話をしましたけれど、素人出版と商業出版では、同じ作品でも、売り上げは二桁は違うでしょうね。繰り返すように、そこに「信頼」の問題が絡むんです。出版社は長い歴史をかけて、その「信頼」を作ってきたわけです。これは出版社だけに限りません。トヨタも三菱もアサヒも、彼ら企業は「ブランド」を売っている、といってもいいわけです。そして同じように、作家もまた出版社に「ブランド」という目に見えないものを与えているわけです。持ちつ持たれつです。こうして作家と出版社の共存関係は成立してきたんですね。

それが現在壊れてきた。

ぼくの思うところでは、現在のところ、こういうことです。

作家は「実体経済」を無視するべし。そして、その他、のことで出版社に与えられるものがあればよい。

ただ、今プロ作家でも、初版2千部とか、掲載しても単行本化が見送られる、ということになっている状況です。それはどうしたらいいのか?

複合的なオウンドメディアを持つべきです。

企業が取り組めない領域ならば、クリエイター自身が「オウンドメディア」を持つべきであり、さらに集客し、販売ルートも獲得するべきだ、ということです。できない、というのならば、外注すればいいんです。

今縮小しつつある商業出版社は、良くも悪くも20世紀型大量生産大量消費に則って、戦前から戦後にかけて作られていった企業です。それは取次、印刷所等、横の繋がりも強く、ガチガチで身動きができません。欧米の場合は、エージェントを通して、版権ごと著作権も、その作品を販売した出版社に帰属してしまう場合が多いですが、日本は特殊で、著作権は作家側にあります。作家がやはり自分のメディアを持ち、集客し、販売ルートを持たなければならないんです。

だからといって、ここでぼくがいいたいのは、再三繰り返しますが、実売をさほど気にする必要はない、ということです。重要なのは、さほど、という点です。

ぼくは編集者に、「本は作家が作ってるんじゃない、出版社が作ってるんだ!」といわれましたが、まさしくそのとおりだと思います。

金銭の代わりに、作家はべつのなにかを出版社に与えてあげれば、それでよい。ただ、ラインというものがある。それを構築するに、自社メディア、集客、販売は必須だ、ということです。

できんの? といわれたら、できる、と思います。そしてできない作家は淘汰されていくのが、これからの時代のような気がしています。

メディアなど、もちろん専門ではないので、自分でできない作家が多い。せいぜい見ていると、ツイッターやってるくらいでしょ? それじゃダメなんで、結果的にますますコンサルやソーシャルメディア系のIT企業が儲かる話になるのかな笑 という感じなんですけれど、大事なのは、書籍を読む、という人は減っていないというデータなんですね。版元はここを注視すべきです。これも以前の記事で書きましたけれど、マーケティングについてはSTPが大事で、プラスでサービスですかね。具体的にいえば、単行本で5千くらいがラインなのかな。もっと低くても大丈夫なような気がするけど。千でもいけるんじゃないんだろうか。でも、問題なのは数字じゃないんですね。アートという「非実体経済」=「個性」です。

あと、個人的に思う決定的な販売促進戦略があるんですが、これやってる版元、作家がいるのかな、と考えると、いないんじゃないかな、と思います。簡単な方法なんですが。いるかもしれませんが。とにかくぼくはやります。

こういう話を実際に出版社に話してみたいんだけど、とにかく彼らは頭が固いからどうしようもない。作家側が自らやらないと、共倒れします。

ずっとここ10年以上ネットを見てきて、よいものが残る時代になった、といわれつづけてきたのに、全然そんなふうにならないので、見切りをつけた、と思っていたんですけど、やっぱりこれからはよいものが残る時代になっていくんじゃないか、と思えてきたところがある。そのためには徹底的なマーケティングをしていかなければならない。

見切りをつけるのは、こちらが「発信」してみてからでも遅くはない、ということですね。書籍を読む人たちはいるんです。知識欲が人間の中に衰えることはありません。

経済とアートをいかに融合させるか。さらに、ネットという仮想空間とリアル店舗です。それは「実体経済」で考えていたら、まったく頓珍漢なこたえになるんじゃないのかな、というのが、とりあえずの出発点ですね。

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