人の欲望を解消するには part1 ~人間の五大欲求

今回から五回に渡って、人間のメンタルな部分、その中でも最も深層心理に根深く宿る「欲望」について、考えてみたいと思います。

人間にはよくいわれるように、食欲、睡眠、性欲、の三大欲求がありますが、これはいわゆる生理的欲望です。動物にも存在するものです。「人間」を社会的な存在である、とみなした場合、その欲求は次の五段階に分かれると通常いわれます。

 

1.生理的欲求

生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求

2.安全の欲求

衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求

3.所属と愛の欲求

集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求

4.承認の欲求

自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求

5.自己実現の欲求

自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求

 

これは誰も知っていると思いますが、アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた、人間の「欲求五段階説」です。順番を経るにつれ、より欲望が過剰化する、いいかえれば、人間らしいステージにあがる、ととらえてよいと思います。このステージが上がるということが、非常に厄介なのです。マズローの学説は、ドイツの近代哲学を体系化したフリードリヒ・ヘーゲルの「弁証法」や、古くはギリシア哲学の「弁証法」と深く呼応している、と個人的には思っています。

ただし、マズローもほかの多くの思想家たちと同様、ただ「体系」を論じた人物ではないことは明記しておくべきで、これらについては、後述することで、読者にも明白になると思います。

人間は食べて排泄するだけの存在ではなく、考える葦である、という存在論に基づく近代的自我の思考が、ここにはあります。

人間は人間として生まれてきた以上、そこには生きる上での「段階」がある、という考えです。

進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンがいます。ダーウィンはガラパゴス諸島を訪れ、そこにまったくヨーロッパとは異質な「進化」をしている、つまり社会化、文明化を遂げていない場所で生息する生命体を発見して、「進化論」を唱えたわけです。

近代音楽を体系化したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、あるいは近代経済学の父といわれるアダム・スミスらの学説とも、これは実のところ呼応しています。

彼らが一様に唱えているのは、人間は社会の営みの中で発展するという考えであり、かつここが重要なところなのですが、人間は常に進化の過程途中であると考えたのです。ゆえに、それは原因があり、結果がなければならない。人がなぜ文明を築き上げ、社会を科学していくのか? マズローはある意味、最もその近代現代的人間の持つ潜在的欲望を明確にした人物といってもよいでしょう。

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精神病は現代的病ではない


話は変わるようですが、いわゆるひきこもりやニートと呼ばれる人たちが、日本では20世紀に入る頃から社会現象となりました。これは国内に限りません。いわゆる先進国の人間たちは、なにかしら内向的な精神的病を抱えはじめました。このような、いわば「世捨て人」、人と上手く関われない人たちは、古来から一定数いたことは忘れてはなりません。つまり、これは決して「現代病」ではないということです。

「うつ病」で会社へ行けなくなった、という人も、昨今一気に増えました。ブラック企業の問題も社会現象となりましたね。しかし、これも誤解してはならないのは、なにも朝から晩までこき使われて生きるサラリーマンの姿、いわゆる「労働者の悲惨な現状」は、やはり昨今はじまったものではなく、一昔前は「過労死」が社会問題化されていましたけれども、18世紀の産業革命の最中、まさに資本家たちによる労働者たちへの劣悪な労働環境は最大に問題化され、そこでドイツの思想家であるカール・マルクスが『資本論』を書くことになります。

たとえば、現在心理カウンセリングを受けることは一般になりつつあります。先進国のアメリカやヨーロッパと比べて、その周囲の理解度については、日本では大きな偏見が長年ありましたし、今も完全に拭い去られたとはいえません。

たとえば、「うつ病」は甘え、という考えがいわれます。

うつ病と診断された患者は、自分は甘えている、と思い悩み、さらに症状をこじらせてしまう悪循環に陥るケースが多々見られます。

ぼくの例をお話します。ぼくはこれまで何回かいわゆる心理カウンセリングに罹った経験があります。状況はどうだったかというと、少し症状がよくなると、調子に乗って、すぐに仕事に復帰してしまい、また、ぶり返す、というスパイラルにはまっていました。どうしても我慢できないのです。

休んでいるときは、本当に体が動かないので、休息しているわけですけれど、少し回復の予兆が見えはじめると、ちょっとくらいは……と机に向かい、遅れてしまった分を取り戻すという意識が、荒波のように襲ってきて、仕事に打ち込むわけです。そして「うつ病」が発症したとき以上に、病み上がりの自分を鼓舞してしまった代価を払わねばならず、また症状を悪化させ、振出へ戻るのです。

スポーツ選手のあいだでは、休むのも仕事、とよくいわれます。けれども、なかなかわかっていても、これができない。

そういうぼくに似た、常に人より遅れている、という切迫感に駆られた患者の方は、意外と多いのじゃないでしょうか? 実はぼくは現代におけるうつ病の最大の要因はここにあると思っています。どうしても仕事をしてしまう場合、思いきって長期的な旅行に出かけてしまうとか、料理や、陶芸など、新しい趣味に没頭して、普段の慌ただしい生活を忘却してしまう、というアイデアを駆使する方も多いですね。参考にしたいところです。

とにかく頭と体を休める事。うつ病を改善するには、これしか対策はないわけです。下手をすると、どんどん薬の量だけが増えて、一向に改善しない、という苦境に陥ってしまいます。

 

こうなるはずなのに、こうならない、という幻想が、人を病へ導いていく


なぜうつ病の話をしたのかといいますと、それがいわゆる現代社会における象徴的な病気である、と言われているということをお伝えしたかったこと。もうひとつは、やはりよくいわれるように、真面目な人こそこの病気にかかってしまう、ということをいいたかったのです。

うつ病は真面目な人ほどなる。

うつ病が現代的な病気であるのかどうかは、ひとまず置いておきます。

ただ、いえることは、飲み食い、良く寝て、よく遊んで、眠るだけの人間は、うつ病などにはかかりません。

 うつ病に罹ってしまう人は、大きな勘違いをしているともいえます。

先ほど、うつ病患者は切迫感にとらえられているといいました。自分以外のいわば「出来る人間たち」は、先にあげた承認欲求や自己実現欲求も満たしているからこそ、病気さえも克服している、というふうに思われている方は多いのじゃないでしょうか?もちろんばりばり仕事ができ、生活力旺盛な人たちの中に、そのような天分に恵まれた人たちがいるのも、また事実です。

 しかし、ほとんどの人は、それら人間の潜在的な欲望をパーフェクトに満たしているから鬱屈しないのではなく、それらの欲望がないから、鬱屈しないだけなのです。

 単純にいうならば、うつ病にならない方は、肩の力の抜き加減を知っているのです。では、彼らはなぜそれほど承認欲求や自己実現欲求がないのか?

しかし、そう考えてしまうことも、また悪循環にはまってしまう思考スパイラルです。彼らは満たされているから欲望しないのではなく、欠如している感覚を知らないから欲望しないのです。

神経を病んでしまう人は、多くの人たちが望まない欲求を望んでしまうが故、そうなるわけです。

このことともう少し掘り下げてみましょう。 

では、人はなぜ「承認欲求」や「自己実現の欲求」を抱いてしまうのか、を考えてみます。ただ、飲み食いし、寝て、排せつするだけなら、人はうつ病にはなりません。

自分には人に尊敬されるべき価値がある、自分には他人にはない能力がある、それを活かす必要がある。

人は社会の中で生きています。学校や会社など、具体的な組織に加わると、さらにその圧力は人に襲いかかってきます。若いときなど、自分にはなにか特別な才能があるのじゃないか、と幻想を抱くことは多々あり、逆に、そういう青春を送り、また挫折感を味わう人ほど人間らしく成長するということがあったりします。

 大事なのは、人は赤ん坊として生まれてから、社会的でない人間はただのひとりもいないということです。「無償」ということは、この社会においては存在しません。すべてはなにかとなにかとの関係性において、つまり社会性の中で成立しています。そこに導かれるものが「価値」です。そしてこの価値意識が、自分の望むものと見合ったものが手に入れば人は苦しまず、手に入らなければ、人は苦しむのです。そして、その人の価値というのは、他者や、社会が決めるものだということです。

神経症のメカニズム


 ここで考えてみるべきポイントがあります。

 尊敬されるべき価値がある、他人にはない能力がある、と思ってしまう人は、先ほどのうつ病にかかりやすい人のケースを鑑みるならば、とても人間らしい欲求を持っているということになります。しかし、彼らはそのような価値を持っているから、それを実現したいと思うのではなく、それらが「欠如」しているからこそ、身の丈に合っていない承認欲求や、自己実現の欲求が過剰に溢れ出てくるため、病気になってしまう。

 うつ病のケースを再び考えてみましょう。わたしたちは自分がダメだと思い、さらにそれを補おうとがんばってしまう。そしてまた病気になる、を繰り返します。

 この記事では、最初に、人間が欲望する五段階の意識について記しました。順位を上るにつれて、より社会的である人間的な段階へと、その欲望が高まっており、この欲望の強い人は、潜在的に抑圧された「心の叫び」に振り回されている人間といってもいいでしょう。

つまり心理分析学の父フロイトがいったように、すべての近代的人間は病気なのです。

先だって、このことが、複雑な現代社会を生きるわたしたちが、なにより認識すべきことだと思います。

治癒するには、うつ病のケースと同じで、自分が置かれた「場所」を離れ、その人生を客観視する必要があるでしょう。有効な方法は、対話、にあるといったのは、先述したフロイトでしたが、いわゆる「他者」との対話において、自分が承認されたいと思っているけれども、果たしてそれがどういうことなのか、どうしてその夢を実現させたいと思っているのか、それは本当に自分の心の内から発生した望みであるのか、それが少しずつ明らかになっていきます。ここでいう「他者」とは、同じ会社にいる席を並べた同僚のことではありません。まったく見も知らない、なにをしているのかもわからない、つまり当人にとって「非社会的存在」的立場の人のことです。

そしてこれはビジネスについても共通することなんですね。方法意識やノウハウは違っても、芸術、心理学、ビジネスは、同じ構造を持っています。

この記事では、「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の内実と治癒について、さらにそれらの価値観を掘り下げて、個別に論じていきます。次回はその三つをさらに深くしるために、それらに取り組んだ先人たちのお話を書きます。

最後まで読んでいただき、まことにありがとうございました。

※ 参考文献

『人間の心理学 モチベーションとパーソナリティ』 A.H.マズロー (産能大出版部)

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