欲望の最も厄介なもの part4 ~承認欲求とビジネスの関係性

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承認欲求の根っこに潜むもの


ぼくの話からはじめますが、ぼくは承認の欲求が強い人間だった、と過去を振り返って強く思います。たとえば、小学生などの頃、自分よりずっとサッカーの上手い同級生に親しげに声をかけられたりすると、とても心が弾みました。べつにサッカーを褒められたわけではありません。「おう、〇〇じゃん」と廊下で、すれ違ったときに、名前を呼ばれただけです。これは今思えば、承認の欲求が満たされた幸福感だった、と思います。

いくらお金を稼いでも、異性に愛されても、幸福ではない、という人間がいます。これは承認の欲求が満たされていないためです。結論からいってしまいますが、人は自分が望むとおりの結果、また、自分が愛されたいと願う人から愛を与えられないと、いくら地位や名誉があっても、この欲求は満たされないのです。

ぼくの場合は、この欲求は、ある種病理的に、年をとってからもつづきました。

自分よりも成績が良い人、自分よりも容姿が優れている人、自分よりも仕事が出来る人、自分よりもお金を持っている人。とにかく認められたい。承認の欲求が過熱していったわけですね。

しかし、あるときふっと思いました。

では、逆に考えて、人はなぜ誰かを認めるか? 学生の頃とは違って、社会人になると顕著になりますが、自分の利益になる人としか人は関係を持とうとしなくなります。人が他人を認めるとき。それはその者がその者と関係することで利がある、と思えるときに限られます。

承認されるためには、自分が承認されたいと思える人に与えられるものを持っていなければなりません。

これらのことを踏まえると、最初に掲げたマズローの五大欲求、その人間のステージがひとつ上がった感覚を覚える、と思います。人は生きていくことで、実績を積み上げていく生き物なのです。

 

実績とはなにか?


 

 実績とは意外に一口には言い難いものがあり、たとえば仕事において、それはそれぞれのものを意味するでしょうし、目の前に置かれた状況を改善し、創造し、実行することによって、人は成功体験をひとつずつ積み重ねて大人になっていくわけで、無意識に「自信」をつけて、大人になる。つまりこの承認の欲求を解消していきます。

たとえばまたぼくの場合ですが、小説家を目指していて、賞を受賞し、自分の本が出たのですが、まったく承認の欲求が満たされないことが、なにより不思議でしたね。

商業出版をする。それも小説の本を出す、ということは、多くの人間ができることではありません。それなりの自信を持つ実績となってもよいと思える事態なわけですが、心になんの変化もありませんでした。これは最初に申し上げたことと繋がります。後にわかったわけです。自分が思うような形で、それが世に問われなかったためです。ぼくの承認の欲求目標は、単に本を出すことではなかったからです。

たとえば多くのビジネスマンは出版経験を持つことが、ひとつのステイタスのようになっているところがありますが、人間的価値観から見ると、極めて低いステージを上っている人たちだといえます。

しかし、周囲は違いました。雑誌や新聞にも名前や顔が載りましたし、親戚たちもそれを見て、やはりぼくを観る目が変わったわけですから。

最初にいったように、一口に承認欲求といっても、人それぞれですし、他人に認められたいのならば、最初は小さな実績を作り、それをこつこつと積み上げていって、山にしていくしかない。しかし、山を作ってもなにも嬉しくはない、ということがあります。この場合はどうするべきでしょうか?

 

実績を積み重ねても、承認欲求が満たされない


「えっ、本を出されてるの?」と通院していたお医者さんに突然聞かれたことがありますが、ぼくはまったくなんの幸福感も湧きませんでした。なぜこういうことが起こるのか、といえば、それは自分が認めて欲しい人に認めてもらっていないからですね、やはり。

一口に承認という欲求といっても、世界中の誰もがあなたのことを凄い凄いと認めても、あなたの尊敬する師匠が、おまえはまだダメだ、といわれたら、あなたの承認の欲求は満たされることはありません。繰り返しますが、それで浮かれていたら、その人は極めてステージの低い人間だということです。

 ぼくは自分を振り返ったときに、たとえベストセラー作家になったとしても、自分の承認の欲求は満たされないだろうな、ということが、自身でわかってしまいました。小さな実績が積み上げていっても、意味がない。そういう人の場合はどうするのか。

 多くの人の場合は、社会的に価値ある存在だ、と他人に認められると、この承認の欲求は満たされます。とりわけ上司ですね。その社会生活の中で、自分の役割りの中において、目の前にある仕事をコツコツとこなし、小さな実績を積み上げていくこと。

しかし、中にはそうしても、全く心が満たされない人がいる。

そういう人は心の中に、すでに社会性によっては満たされることのない巨大な承認の欲求が聳え立っているといえます。これは自己の内実を見つめていくし方法はありません。なので、ビジネスで躓かないためにも、芸術や心理学は重要なのです。経営者でビジネス本しか読んでいないような人は、一流の経営者にはなっていないでしょう。同じように、芸術家で芸術の類の本しか読んでいない人は、間違いなく失敗しているはずです。

突然、50歳を過ぎて、大学にもう一度通いはじめる人がいます。脱サラをして、蕎麦屋を経営しようとしはじめる人がいます。そういった全ての人がそうだとはいいませんが、彼らにはそれまでの社会経験の中では満たされないなにかがあったのは確かです。ぼくは彼らが一段ステージの高い人間だと感じます。

そういう人は、他人がどういおうが、心は満たされないことをわかっています。自分の思う道を進み、他人ではなく、自分が認めてあげることで、その欲求を解消するしか方法はないからです。

ぼくの場合は書籍が大きく役に立ったと思いますので、書いておきます。

書籍とは知識を得るもの、という認識が強いですが、その役割りは多岐に渡っていることを注視すべきで、とにかくビジネスにおいても、芸術においても、読者は基礎であり、本を読んでいない人は、人間のステージの最下位に位置する、と思って間違いありません。ここで細かく述べることはしませんが、たとえば一般的に難しいといわれる人文系の書物など、研究者でもない限り読もうとは思いませんが、それらは心を豊かにするかもしれませんけれど、実践的な魅力には乏しいからですね。

しかし、それらの山をひとつずつ超えていくことで、心が満たされていくことがあります。読書が愛すべきものであるのは、先人たちの知識や心がそこに描かれていることに感動を覚えるからにほかなりませんが、ほかにも、時や、あるいは民族や宗教の壁を超えて、共鳴し、ときには実行に移させる強い意識を働かせることで、このちっぽけな社会ではなく、もっと大きな世界のようなものに絆を保つ、承認の欲求を与えます。

 好きなことを追求する、ということも、とてもよいと思うわけです。結局人は自分が価値あるものに認められないことには、この承認欲求は満たされることはありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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