大友克洋の『AKIRA』を読む

どんなジャンルのものもそうであるように、いわゆる日本の漫画にはその変遷があります。発端があり、転換点があり、進化です。いわずもがな、その起源は手塚治虫、その人でしょうけれど、さいとうたかをも漫画の神様と呼ばれる手塚とは違った「劇画」というジャンルを確立した忘れてはならない存在です。さいとうたかをは、『ゴルゴ13』のイメージが強いですが、いわゆる連載漫画が登場する前の時代の「貸本漫画」時代から活躍していた、手塚と同じく日本漫画の黎明期に位置する漫画家で、少女漫画を描いていた時期もあり、そもそも「劇画」を最初から意図していたわけではなかった人です。「妖怪漫画」の重鎮の水木しげるだって、少女漫画を描いていたわけです。信じられないかもしれませんが。

実はこの辺りも大友克洋の漫画を考える際、なにより漫画という、日本独自の文化発展を遂げたジャンルの本質をとらえる際にも、とても重要な論点で、深く掘り下げるべきですが、漫画史のレビューではないので、今回はあくまで大友克洋に絞りこんで、漫画史と彼の漫画の関係性を紐解きます。

AKIRA コミック 全6巻完結セット (KCデラックス)

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漫画の起源について

最初にちょっとまわりくどい説明から入ります。

漫画はいつからはじまったのか? 平安・鎌倉に描かれたとされる『鳥獣戯画』が最初だ、とされるのが一般的みたいですが、そもそも日本には「漫画」というものが作られ、多くの者に愛される土台があったのだ、という認識はきっと間違いないでしょう。

明確にわかるのは、江戸期に町民文化として開化した「浮世絵」で、これは美術史的に風俗画と呼ばれますが、浮世絵を鑑賞した方はわかると思いますが、描かれた多くの役者絵は、ほとんど同じ顔に見える、というより、はっきりと同じ顔であることが特徴です。これは役者がそのような顔をしていたからではなく、鑑賞者がそれを望んだことが要因です。

考えるとわかると思うんですけど、当時歌舞伎俳優は江戸の町民たちにおけるスーパースターでした。彼らは華麗な衣装を纏い、化粧をして、舞台で演技を繰り広げました。役者たちは浮世離れした「記号」であり、人々はその記号化された人物造形に憧憬を抱いたのであって、演者その人に気持ちを持ったのではありません。

絵師も商売ですから、町民たちが欲しい、と思われる役者絵を描き、それをどんどん記号化していったわけです。この「抽象化の方法論」は、手塚治虫の漫画に通じます。

たとえば手塚治虫が影響を受けたのはよく知られているようにディズニーです。ディズニーに描かれたアニメーションを見てみるとよくわかりますが、やはり簡略化されたキャラクターたちが、非常にわかりやすい筋立てのドラマを演じて、観る者を泣き、笑わせます。このキャラクターの記号的造形は、浮世絵のそれと似ているようで、しかし、根本的に発想が異なっています。

欧米ではマンガ、アニメーションなどは子供が鑑賞するものであって、十代半ばを過ぎると、多くの者たちはいわゆる小説などの活字に教養や娯楽を見出すようになるのが普通です。ディズニーのミッキーマウスでもくまのプーさんでも、それは子供のためにそういった造形がされており、敢えて大人には興味が惹かれないものとして造形美が作られています。

これをスライドさせて考えると、いろいろと面白いことが判明してくるわけです。いい大人になった人間。簡略化された造形美を好む日本の大衆たち。じゃあ、彼らが幼児的傾向があるのか? といえば、このことを鵜呑みにすることは、できません。一部の人はするでしょうが。たとえばヨーロッパの思想家たちは、なんでも大きければよいというカーボーイ的発想で、果てしなく快楽を追求するアメリカという20世紀に大国化した国に、ひとつのポスト・モダン的な存在を見ました。そして、さらにそれを越えるものとして、特殊性に満ちた、アメリカ以上の動物的かつ幼児的なポスト・モダン的な特徴を、日本の国家の成り立ち方に見ているのは事実です。

ただし、これはあまりにも「ヨーロッパ中心主義」的な解釈です。なにより強調したいのは、これは視覚優先的思考に基づいた解釈です。前置きが長くなってしまったので、そろそろ大友克洋の漫画に話を戻しますけれども、これらの前提はとても大事なことです。

個人的なことから話ます。ぼくが大友克洋の漫画に最初に触れたのは、『童夢』でした。これは1983年刊行です。大友がSF的手法を開花させたとされる記念碑的作品です。友達に勧められたんですが、今までに観たことのない漫画だと思いました。今、ぼくは観たといいましたが、事実そうであって、ぼくは彼の作品を、読んだ、のではなく、そのとき、観た、わけです。次に『AKIRA』全六巻(1983-1993)を読んで、頭がぶっ飛んでしまいました。実は『AKIRA』については、1988年公開時に、最初は映画で観ていました。重要なのは、彼の漫画であろうと映画であろうと、それを観た、ということにほかならないということです。

AKIRA』のストーリー

AKIRA』は講談社の週刊少年ヤングマガジンに連載されました。初回が1982年で、最終回が1990年なので、ほぼ10年に渡る長期連載だったことがわかります。ストーリーはとてもシンプルです。舞台は近未来ですが、2020年ですので、時代が作品に追いついてしまいました。

新たな戦争(第三次世界大戦)後に建設された「ネオ東京」は退廃と壊滅のイメージに満ちています。「旧東京」は廃墟のままで、まだ開発のめどはたっていません。2020年に東京オリンピックが開催される予定です。本当にそのままですね笑 国家政府と反政府ゲリラによる闘争が繰り広げられていることがわかるんですが、これが少しずつなにを中心に争いが起こっているのか、読み進めるにつれて、明らかになっていきます。

主人公はオートバイを乗り回す金田正太郎という少年で、彼の暴走族仲間の島鉄雄が怪我を負って入院するところから物語が動きだします。鉄雄は大人しい不器用な少年だったわけですけど、退院後の鉄雄には得体のしれない超能力が備わっていました。彼はそれまでの劣等意識であった弱い性格の鬱憤を晴らすように、敵対する暴走族仲間たちを惨殺して自分の力を誇示していきます。金田は鉄雄を心配するわけですが、鉄雄の暴走は止まりません。実は鉄雄は軍の秘密研究機関によって、入院中に人体実験をされていたことがわかります。実験をされた、と言うより、もともと備わっていたなにかを導き出されるよう改良された、というほうが正しいでしょう。鉄雄は41号と呼ばれますが、ほかにも同じような、いわば恐るべきパワーを持った少年少女のような、老人のような人物たちが施設に囲われています。その中心にいるのが「アキラ」と呼ばれるものです。アキラ、とは果たしてなにものなのか?

ここまでが『AKIRA』の第一巻のストーリーです。廃墟と化した「ネオ東京」で、国家に実験台にされ、苦悩していく鉄雄は、この漫画の象徴的存在といえます。『AKIRA』はいわゆる勧善懲悪的な世界ではなく、この破壊に導かれていく鉄雄を軸として、客観的人物として親友の金田を読者視点に据えることで、「物語解体」としてのポスト・モダン的文脈を持っています。実際p1からページを繰っていけばわかるのですが、漫画のほとんどが暴走族らのカーチェイスシーンや、殺人や爆破や解体など、「動的」なイメージの連鎖であり、確かに述べたようにストーリーはあるんですけれど、読者はその躍動したスリルを味わってページを繰ることになって、はっきりいっていったいここでなにが起こっているのか、わかりません。漫画は神視点で描かれますが、登場人物たちがアキラを巡って彷徨うように、読者も漫画の中を彷徨うわけです。こんな漫画はこれまでには存在しませんでした。全六巻の作品を読み終わったあと、このヴォリュームのある漫画にいったいなにが描かれてあったのかを「話」として想起すると、なかなか難しいところがあるのが実体でしょう。話としては、まったくなんでもないようなものだ、といってもいいのです。

大友克洋が描く極限に挑む写実性

AKIRA』はストーリーがあるようで、ないようなものだ、といいましたけれど、これは同時代の漫画家たちに通底する性質があります。たとえば押井守の名を知らしめたといわれる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)―これは映画ですが―の、やはり物語を脱構築していくようなポスト・モダン的手法は、やはり神視点でありながら、読者を物語内に宙づりにします。

大友克洋によって、それまでの日本漫画のなにが変ったのか。この写実性は『童夢』の延長線上に発展したものなのは間違いありませんが、さらに推進されています。なにが特徴なのかを具体的に見ていきます。

大友は1970年代に漫画家としてデビューしていますが、その頃は当時の時代風俗に見合った、退廃した青春像を描くリアリズム作品を描いており、多くが想像する「大友といえばSF」と呼べるような作品を、当時は書いてはいませんでした。違うのは、題材だけではありません。『童夢』以降の、コマの中をぎっしり線描する緻密な画風とは違い、人物に焦点をあて、極めて日常の風景を描いていた、という意味では、スケールの観点からいっても、作風が異なっています。

大友がやったのは、漫画を読むものから、観るものへ、となにより「転換」させたことで、ストーリーよりも絵を、ドラマよりも、その世界観を優先したわけです。

たとえばなにもない空間を描くことで、「絵」だけを実体的に抽出することが可能です。ここでなにをしているのか、というと、写実による雄弁性です。『AKIRA』ではアクションにおいて、それがとりわけ用いられています。

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(出典:『AKIRA』第一巻 大友克洋 講談社)

キャラクター造形も、それまでと大きく異なるものがあります。よくいわれるように、大友の作品に登場する人物たちは、誰も美しくありませんけれども、(後に、大友は美しい人物像も描くようになるわけですが)、これはやはり写実=リアルにこだわったためです。

漫画というジャンルの持つ「記号化」と「写実」

実は漫画好きのあいだでは、1970年代の大友作品がよくて、『童夢』で大友は終わった、という人もいたりします。大友は『童夢』の前に、1982年に『気分はもう戦争』という、矢作俊彦原案の作品を発表しているんですが、これがけっこう話題になったんですね。中国と旧ロシアの戦争を目の前に、平和ボケしている日本人の失態をある意味戯画的に描いた作品ですが、近未来的作風、画面構成、パロディ精神など、大友の魅力が詰まった一作だと思います。あくまでぼくの一見解ですけれど、ぼくは70年代と80年代の大友作品を読み比べて、あまり違和感がないのですけれど、理由は、彼が最初から写実をやりたかったからじゃないか、と思えてならないためです。

最初に、日本人が持つ、その「記号性」としての画風について、ぼくは言及しました。意図するであれ、どうであれ、「漫画家の起源」とされる手塚治虫がその日本画の記号的側面を継承したことは疑いようのない事実ですが、いっておかなければならないのは、日本の浮世絵や漫画の人物が記号的造形美を持つのは、読者が幼児的思考を持つからではなく、ひとつは単一民族であるという理由からか、多くが同じものを望むというファッショ的傾向がある、ということと、さらに町民文化としての大衆性が限りなく豊饒な文化性を帯びていた状況にあった、ということと、なにより「作品」というものが「記号化」される意図を受容できる高い能力が鑑賞者側にあった、ということです。大友の漫画が可能だったのはこの歴史性を見逃してはならず、また大友の作品はその観点から検証されるべきです。

江戸時代の町民文化とは、1980年代以降の日本文化に通じるポストモダン=プレモダンであり、それは西洋的である解釈的な近代の脱構築という意味合いではなく、作品というものは庶民の日常に根付くもので、作家と鑑賞者側が共に作り上げていく、という意味の下に築かれています。

もう少しこのことを掘り下げます。

「記号化」=「意味」というのは、ある意味「簡略化」であり「省略化」であり「抽象化」であり、それを突き詰めると、たぶん「禅」や「神道」の思想に辿り着くと思います。

西洋の美術史は宗教画からはじまり、後に写実画へと変遷を遂げて、抽象的画風のモダンアートに移っていく歴史を持ちましたが、先にいったように、一貫して、これは視覚優位の発想から抜け出ていません。彼らは聖書やキリスト教を少しずつ解体する形で、それまでの貴族社会でしか通用していなかった文化を庶民に下してきたわけです。西洋美術とは一貫して視覚芸術なんです。『鳥獣戯画』が漫画の起源であるとするなら、日本人はすでに江戸どころか平安の頃から、モダンを超えたポスト・モダン的姿勢を持っていた、といえます。それも一般大衆たちが持っていた、ということです。

作品が記号化される意図についていうなら、たとえば絵画作品を鑑賞するときに、写実で描かれた作品は理解できるが、抽象画はよくわからない、という人がいますが、抽象画がわからない人は、画家が描かれたものが作品であり、それを探そうとカンバスを見てしまうからで、画風から放たれたイメージで自らのイメージをしないため、わからないわけです。

これはストーリーについてもいえて、ストーリーの起伏が弱いドラマや映画を観て、おもしろくない、という人がいますが、これは「話」以外の部分に、作品の鑑賞能力を注いでいないためです。なにも描かれていないカンバスにも、そこには描かれているものがあり、それは作家と鑑賞者が共に「対話」をすることで、つくりあげていくものです。「作品」はこのとき、テキスト、へと解放されるわけです。すでに「鳥獣戯画」は、テキスト、でした。

大友克洋はまずストーリーを捨てました。次に、従来の漫画の当然としてあった技法である記号化された人物造形を捨てました。

彼の漫画を読んで、まるで映画のようだ、と感想を漏らす人が多いです。実際大友は後に映画の世界へと足を踏みだします。SFの世界を題材としたのは、写実をするにはうってつけだったからだ、とぼくは思っています。

大友の画力は、とにかく線にあります。

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(出典:『AKIRA大友克洋 第一巻 講談社)

これは不思議に思うかもしれませんけれど、漫画である命である「線」について、実は大友以前の漫画家は、意外にも軽視した傾向があったんじゃないか、とぼくは思えてならないんですね。少年漫画家はストーリーを描き、少女漫画家は人物の心理描写に徹しているのが主でした。しかし、1970年代終わり頃から、変化が訪れるわけです。

大友は新しい漫画世代の旗手、ニューウェーブと称されましたが、同じくそう呼ばれた漫画家に、1979年に『絶対安全剃刀』でデビューした高野文子がいます。大友に影響を受けた、後に『海街diary』がヒットする、やはり少女漫画家で吉田秋生がこの頃デビューしています。とりわけ少女漫画家の躍進は華々しく、この時期に、大きく漫画がひとつの「転換期」を迎えたのは疑いがないです。それまでギャグ漫画を描いていた江口寿史は、大友の作品に衝撃を受けて、筆がとれなくなってしまいます。このとき手塚からはじまった日本の漫画の歴史が大きく迂回しはじめました。その中心にいたのが、ほかでもない大友克洋です。

もちろん作家たちは、それぞれの作風を持っていて、大友とは似ていませんけれど、80年代以降のある種の漫画家たちが、大友らの作風によって、従来の漫画が持っていた造形美から自由になった、というのは間違いないと思います。

今ならパソコンでいくらでも緻密な絵を描くことができますが、この時代にペンでこれだけの絵を描くことのできる漫画家は大友ただひとりだけだったといってよいです。

ちばてつやがストーリーではなく、人物によってストーリーは描かれるのだ、という漫画に新たな生命を吹き込んだとしたなら、大友克洋は、漫画というのは読むものではなく、観るものだ、という新しい風を、漫画に吹きこんだといってよいかもしれません。そしてぼくはそれを「進化」ではなく、「回帰主義」だと思うということです。

日本漫画史の転換期に位置する大友克洋

絵や映画でやればいいんじゃない? と大友の写実性についていう人もいるかもしれませんね。実際大友は以前は絵を描いていましたし、後に映画にも手を染めていくのも必然だったでしょう。そういう人たちには、ぼくはフランスのヌーヴェル・ヴァーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダールの言葉を返答として用いたいです。

「なぜ、それを他のジャンルでやってはならないのか?」と。

ゴダールは映画の批評を映画に持ちこんだわけですが、だったら評論でそれをやればよいではないか、と揶揄された時期があったわけですけれど、ゴダールはそうこたえました。ゴダールは自身映画を撮る前は、『カイエ・デュ・シネマ』に文章を書く映画批評家だったわけです。

大友克洋以前、以降、といういいかたも一般的にされるようですが、基本的にぼくの考えでは、大友克洋という漫画家は、もし定義づけするなら、「脱構築漫画家」、いわゆるポスト・モダンの作家、だったと思っています。彼の70年代の初期作品は青春漫画ですが、いったいなにをいいたいのかわからない不条理劇めいたものも多く、決定的なのは、1981年に出版されている『ヘンゼルとグレーテル』です。

ヘンゼルとグレーテル (ART BACK)

ヘンゼルとグレーテル (ART BACK)

これは漫画雑誌ではなく、音楽雑誌である『rockin’on』に当時連載されて、ソニー出版から上梓されたんですけど、『白雪姫』などの誰もが知る童話を、独自の視点でいわゆる「脱構築」しています。ほかにも、手塚治虫の作品や鳥山明の作品へのオマージュ、批評、中には先行作品のパロディとしか思えない作品も多数あり、彼が得意としたのは確かに「写実」なんですけれど、SFを描いた漫画家として形容するには違和感があって、彼はとても批評性を持った漫画家なんです。

ぼくが語るまでもなく、数々の世界的な受賞歴も輝かしく、「漫画史」を語る上で欠かせない天才のひとりです。『AKIRA』を読んだときの、夏休みの熱気に包まれたあの印象を、ぼくは今でも鮮やかに覚えていて忘れることができません。

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