セルフネグレクトにならないために私たちがすべきこと

セルフネグレクト

pixabay

実はこの「セルフネグレクト」という言葉、ぼくは長いこと知りませんでした。TVで嵐の二宮和成さんが、その兆候があると診断されたとかでニュースで知って、ちょっとびっくりしたんですけどね。

40〜50代が孤独死するケースが増えていると夕刊フジが報じた。遺品整理人の石見良教氏によると、セルフネグレクトに陥った人が多いという。自分をコントロールできなくなり、ゴミなどが捨てられなくなるとのこと

元女優の川越美和さんも、35歳の若さで亡くなっていて、死因はセルフネグレクトだったとか…。

セルフネグレクトとは、いうならば自己放任です。

つまり自分のことがどうでもよくなる。

同じ服をずっと着続け、外出しない、人としゃべらない、食事もカップラーメンなどが主、最も顕著なものが、ゴミを片付けない、というもの。

よく「片付けられない人」みたいなゴミ屋敷をTVでは、以前から放送していましたよね。

実は、ぼく自身もいろいろ調べていて、「自分もかなりセルフネグレクトじゃね?」と思ったので、この記事を今回は書いています。

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セルフネグレクトについて

なぜセルフネグレクトになるのか?

人がセルフネグレクトになってしまう理由は、離婚、リストラ、うつ病、いじめ、病気、いろいろとあります。ぼくが思うに、その病の根底にあるのは「人生に対する諦め」、とにかく、もう前へは進めないという「無力感」だと思います。

片付けなくちゃ。体に栄養があるものを食べなくちゃ。

そう思っても、一方で、「どうせ、そんなことをしてもわたしに誰も興味なんてないんだから」と思ってしまう。「どうせわたしはダメな人間だしさ」

ぼくはほぼ自宅で仕事をしているので、寝起きのパジャマのまま仕事をしたり、面倒でなかなか掃除機を手に取らなかったりすることが多いです。プチ・セルフネグレクトですね。

ただ必ず心がけていることがあります。

ウォーキングです。

毎日欠かさず、ということではないですが、一日1時間半から2時間くらい、外を歩きます。ついでにスーパーで買い物を済ませてくることが多いです。

しっかり歩くわけではなく、普段着でちょっとだけ速足で歩くだけです。なぜ人がだらしない生活に落ちていくのか。ぼくはよくわかるんですが、ぼくが底まで落ちてしまわないのは、このウォーキングのおかげかな、とちょっと思いました。

周囲の同年代の人たちを見て、ああいっただらしない体格にはなりたくない。本もよく読みます。紳士でありたい、と常に思います。自分を誹謗中傷してくる腐った人間を見て、あんなふうにはなりたくない、と思うのです。

セルフネグレクトにならないために

他人に相談するとか、医者に行ってみるとか、当たり前のことは、ここでは書きません。ぼくが思うのは、先にあげたようにプライドを持ってみるのがよいのじゃないのかな、ということです。

たとえばいじめに遭った被害者の子供は、自分が悪い、と思います。「お父さん、お母さん、ごめんなさい」という遺書を残して死んでいく子供がいます。どうしてこんなことが起こるのか?

もちろん彼らに、君は悪くないんだよ、悪いのはいじめてきた人たちのほうなんだよ、といっても、難しい問題が横たわっています。

いじめに限らず、被害者の立場となった経験者ならわかると思います。

自分にも非があったんじゃないのか…。

喧嘩両成敗とは、好都合な御託です。

やがて、自分を責める被害者意識は、自分が悪いからだ、実際、誰も助けてくれなかったじゃないか、訴えたけど、誰も聴いてくれなかった……だんだん負のスパイラルに陥ってしまいます。

ぼくも学校や仕事場で、通常考えたら、有りえないような非人道的な扱いを受けてきました。今でも憎しみは消えません。いっそ殺してやりたい、と悲しみに暮れて、突然迸りはじめる怨念をどうしようもなくなるときがあります。

そういうとき助けてくれるのは、やはり自分しかないのです。

よく日本人は、スポーツ選手などがそうですが、必ず、応援してくださったファンの方たちのおかげです、という言い方をします。実際それは事実だと思います。

でも、頑張ったのは自分です。自分を褒めてあげましょう。そして間違ったときは、また正直に、自分の非を認めましょう。

重要なのはここです。

ぼくは心理学的見地から、セルフネグレクトに陥りやすい人は、自分の非を認めたがらない性格の傾向があるのじゃないか、と思っています。

この世に絶対など存在しない

この世に絶対など存在しない。

これはぼくの好きな言葉です。苦境に陥ったとき、ちょっとこの言葉を唱えてみて欲しいな、と思います。心が落ち着く気がしませんか?

絶対なんかないんだ。そっか。こんくらいが普通かも。

風向きがよいとき、悪いとき、それは誰にだってあります。

自分以外の皆が幸せそうに見える。

でも、意外と、湖面の白鳥ではないですが、誰もが見えない部分では大変なのですよ。これは真実です。

あなたを貶めているのは、あなたの被害者意識です。それは一時の自己正当化には繋がるかもしれませんが、その意識のままでいたら、あなたの人生は十年後もきっとそのままです。

なぜ人が被害者意識に陥るのか、というと、自分が悪い、と思ってしまったほうが、人は楽だからです。

そうではなく、いじめてきたいじめっ子、パワハラをしてきた上司、理不尽なことをしてきた加害者、その人たちのほうが悪いに決まっているじゃないですか。

自分なんかどうでもいいや、と思わないでください。悪いのは相手です。あなたは悪くない。

さらに重要なことがあります。

これはぼくが芸術文化に携わってきて、そしてビジネスをしたい、と今の思っている感情とも強く繋がるものなのですが、あなたを必要としている人が、この世界に必ずいるということです。だから、ぼくはその人たちと巡り合うためにどうしたらいいか、と考えて、ビジネス、ということを考えはじめました。

その人のことを頭に思い描いてください。

自分なんかどうでもいいや、と思っている限り、あなたの魅力が発揮され、見出されることはありません。自暴自棄になっている時間を、己の魅力を磨く時間にあてましょう。

太陽は燦々と輝き、路は真っ直ぐに伸びています。夏が終われば、枯葉の舞う秋の季節になり、そして寒い冬が訪れます。春は必ず訪れます。

あなたを待っている人が、たった今すれ違ったその人かもしれません。でも、もし、セルフネグレクトになっていたら、その人があなたを見つけることができないとしたら、とてももったいないことだと思いませんか?

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