どうして絵はあんなに高いんだろう?

アートはなぜ高額なのか

なぜアートは高いのか? 今回はそんな素朴な疑問についての話題です。理由は、次の二点にあります。

1 希少性
2 需要と供給のバランス

アーティストの創作品は、複製可能なものや、リトグラフ等を除いて、たいてい一点しか、作品は存在しません。

驚くような値段で現代アート作品が売買されていますよね。ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれのドイツの画家)の作品が、26億で落札された、と聞いたときは、さすがにぼくも腰を抜かしましたね笑

ゲルハルト・リヒターの作品が26億9千万で落札

たとえば市場には「相場」というものがあります。近くの八百屋では葱が100円だったのに、隣町のスーパーでは90円だ、と。じゃあ、自転車を走らせて、安いものを買おう、というのが庶民感覚です。 本には再販制度というものがあり、店舗ごとに価格を定めることが禁止されています。あるいは、家電製品など、安さ一番!を売りにしているお店が多く、あっちの店では同じこの商品がいくらいくらだった、といえば、たいてい値引いてくれますね。

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アートの相場

しかし、アート作品には「相場」、ましてや再販制度ごときのものはないのです。この記事の論点はそこです。

その作品が最初100万円で売却されたとして、後に、誰かひとりでも、その作品を1億で買う、となれば、その作品の価値は「1億」です。アーティストの値段は世評とともにだんだん上昇していくというのが一般的ですが、たいていは海外で認知されたとたんに高騰するのが普通です。仮に、その方が作品を手放した折、10万円の値段しかつかない、ということもまま起こります。そうしたらその作品は10万円なのです。

市場におけるアートの「相場」というのは、基本的に定まっていない、と思っていただいてよいです。今確固たる美術史において地位を獲得している画家の作品でも、新しい美術潮流が起こって美術史が揺るげば、その「価値」が損なわれる危険性は、常にあります。日本でも有名な17世紀のオランダの画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日? – 1675年12月15日?)の評価は時代の推移とともに上がったり、下がったりしています。

アートは実体経済を無視する

アートは「実体経済」の内にいながら、その外に偏在するものとしてあります。リヒターの絵がなぜ26億するのか、というと、それが「相場価格」だからではなく、「実体経済」を突き破っているからです。

よく聞く話が、美術作品購入に関して、なにを買ったらいいのかわからない、という意見です。好きなアーティストが決まっている、という方ははっきりしていらっしゃって、そのアーティストを目指して、ひたすら作品発掘をしつづけるマニアな方は、どんな分野にもいらっしゃいます。

しかし、多くは美術作品を買いたいと思うが、なにを買ったらよいかわからない、という購入者の方が圧倒的に多いのじゃないでしょうか。オークションで意外な発掘ものに出会ったという人もいますね。どうしてもその作品に魅せられてしまった、と。

作品との出会いはまさしく人生であり、いったん所持すると不思議な愛情が湧いてきます。時間を超えて作家の体温が伝わって来るためです。

結局、お店が勧めるものを買ってしまう、というところに落ち着いてしまう顧客が多いのも市場では現状ですが、自分が購入できる金額で気に入った作品を買うのが、美術作品購入にはもっとも適切な判断であると、ぼくは考えます。

もちろん、それが来客用に飾るためのものなのか、個人で楽しむためのものなのか、誰かに対するプレゼントであるのか、でも変わってきますね。

購入については、ポイントをひとつあげておきます。

その作品と出会ったとき、「買ってほしい」と作品が、あなたに訴えているかどうかです。そうであれば買う、そうでなければ買わない。これは玄人、素人、関係なくわかるものです。

実は「相場」や「評価」は後からついてくるものです。結局アートとは、もっとも相応しい場所に落ち着くようになっているといってよいです。今無名のアーティストであったとしても、それはいずれ出会うあなたのために、懸命に作品として、その過程を歩んでいます。

価格は顧客=市場が決めるもの

さきほどもいったように、誰かひとりでもそれが欲しい、といえば、需要と供給の関係は成立します。別の項目で書きたいと思いますが、たとえば同一金額に指定されている出版物の世界においても、「相場」を変革することはできるのです。経済の本質とはそこにあります。

現代アートほど「相場」が定まらないものもありません。いっとき高騰したイギリスのアーティスト、ダミアン・ハーストの作品も、一定期間を過ぎた後、熱が冷めたように作品の価格は下落し、そして落ち着きました。

たとえば、日本では、桃山から江戸にかけての美術作品の再評価がされはじめたのは、1970年代頃からのこと。つまり近年のことですね。それまで根上りしつづけていた明治以降の近代日本画と、相場の逆転現象が起こるようになりました。

今では信じられないことですが、伊藤若冲の掛け軸などは、マニアックなファン層意外は誰も見向きもせず、昔は数万円から数十万円程度で売却されていました。今は千万円以上しないと、手に入らないでしょう。多くの若冲の作品は海外のコレクターの手に渡ってしまいました。

だからこそ、美術作品は経済的側面から見るべきではない、といっているのではなく、だからこそ経済的側面から見て面白いのではないのでしょうか? ということです。ここを突きぬけるかどうかで、美術に対する興味が大きく飛躍しますし、実体経済に対する考え方も変化してくる気がしますね。

つまりこれが今回投げかけられた疑問に対する答えです。

アートとは「実体経済」を揺るがすものとして存在しているから「価値」が高いのです。それを教える人は本当に少ない。どこの企業も画廊もわが社のアート作品をただ買って欲しいだけのように見えます。

アートを買う、或いはそれに魅力されるでもいいと思います。そのことは現在形における「経済的価値観」を懐疑し、破壊する行為です。たとえば、あなたの価値とは誰が決めるでしょうか? たいてい社会が決定してしまいますが、自分自身ですべてのルールから解き放たれて価値を決められる世界があります。

それがアートです。価値。それは実体としてあるものではなく、顧客と売る側との関係性において生まれているということです。

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