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セールスは悪か?

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営業は誰もが苦手

起業する9割は10年以内に廃業するという国内のデータがあります。理由は様々でしょうが、最たる理由は、いわゆる「メンタルブロック」にあるのじゃないか、と思えます。

メンタルブロックとはなにか、というと、お金を稼ぐことに、なにかしら抵抗感がある、ということですね。これはとても不思議なことです。ぼくたちは資本主義社会の中で生き、民主主義国家の中で育まれているにも拘らず、その要である「マネー」については、なにかしら胡散臭い気持ちを抱いているのです。

サラリーマンの多くは営業が苦手だと答えます。それはダイレクトにキャッシュのクロージングに関わる仕事だからです。これもよく考えれば、不思議なこと、というより、卑怯な心理というか、人間の本質を表していて、面白い現象だとも思えます。

同企業に所属しながら、たとえば同じ給与を与えられながら、事務作業はよいけれど、営業は嫌だと笑

もちろん対面の仕事に向き不向きはあります。でも、単に好き嫌いでセールスを拒む心理がそこに働くのだとしたら、そもそもその方はサラリーマン、いや、この先進国の資本主義社会で生きている以上、この社会で生存しているのに向いていないともいえるでしょう。少なくとも、そのことに目を背けて生きていくのは、不道徳だというのが、ぼくの考えです。

セールスされた嫌な記憶 その1

確かに嫌なセールスというものはあります。

個人的な経験を述べると、ぼくが当時小学校の高学年の頃だったと思いますが、当時はまだ、ipodどころか、CDではない、ラジオカセットの時代で、テープレコーダーとスピーカー、ラジオのチューナーがセットになった、いわゆるラジカセというものが、流行りだったのです。

近所の電気屋のお兄さんが営業販売をしていたのを覚えています。飛び込みです。やはり当時飛び込みの営業で、ぼくの家は百科事典を買った記憶があります。全部で12巻ほどあったはずです。購入した当初は、宇宙についてや、生物の神秘についてなど、興味津々で辞書程のその分厚い百科事典のページを、目を大きく見開き捲っていましたが、一月も過ぎると飽きてしまい、TV下のケースの中にずっとしまわれたままになりました。

ラジカセに話を戻しますが、ぼくはラジオが聞けて、テープレコーダーが再生できれば、それでよかったのです。いつもは財布の紐が硬い父親が気前よく、買ってくれる、といったわけです。二度目にそのセールスマンのお兄さんが我が家に訪問したとき、カタログをぺらぺらと広げながら、「結局どれがいいんだ?」というぼくの背後にいる父親の言葉を遮り、「そんなの決まってるよな、このいちばん高くて、新製品の奴だよな」とお兄さんはいい、ぼくは押し切られる形で曖昧に頷いたのでした。

セールスされた嫌な記憶 その2

もうひとつ恐縮ですけど、ぼくの例をあげます。

ぼくは19歳のときに、大学入学のために東京へ出てきました。試験の下見のため、万が一道に迷うことがないように、前日に大学へ向かいました。大きな荷物を背負って、地図を片手に、風貌はいかにも田舎から出てきました、という大学入試の学生風です。

声をかけてきた青年がいて、今でも覚えています、太っていて眼鏡をかけていた人でした。

「〇〇大学受けに来た人?」というので、改札を出たぼくは、もちろんそうでしたから、「はい」と返事をして、その方が手招きするほうに向かいました。「じゃあ、ここ座って」と駅前の小さな公園の噴水のベンチに連れていかれ、何も知らないぼくは、大学入試のためになにか説明会か、注意事項でもあるのだろうか、と思っていると、名前と受験番号と実家の電話番号を聞かれ、試験の合否を大学の通知よりも早く、電話で知らせてくれるという話に落ち着いたのです。

最初、ぼくは大学側がこのような体制をとっているのだと勘違いしていました。「はぁ、ありがとうございます」といった瞬間、「じゃあ、5千円ね」といわれて、手を差しだされました。

結局、ぼくは5千円を払ってしまいました。入試に対する、いろいろな心配ごとや、道順や、校風などを聞かされたあとで、もうそのときは、これは一種の詐欺商法だ、と理解できたのですが、「払いません」といって、断ることができなかったのです。

あの当時10万円以上するラジオカセットデッキを購入したあと、ぼくはしばらくいやーな気持ちに胸を包まれていました。敏腕なセールスマンに、10歳の子供を押し黙らせるなど簡単なことです。でも、ぼくは「ぼくは本当にこれが欲しいんだろうか」という気持ちが拭えず、実は数十年経った今でも、そのいやーな気持ちは残っています。

先にあげた電気屋のお兄さんと、その大学生OB(結局その大学にぼくは落ちて、通うことはなかったのですが笑)の一件は、未だによく覚えている、というのは、つまるところ、彼らのセールス、ないしは、そのような形でお金を払ってしまった自分に対して悪い感情が働いているためです。セールスは悪だ。それは嫌な感じ=悪だという認識として胸に残っています。

リピートする顧客を想像してみよう

ラッセン絵を買わされたとか、高価な布団を買わされたとか、この手のセールストークでころりにひっかかた経験を持つ人は、ぼく意外にもたくさんいると思います。彼らのようなセールスの一件がなぜ誰にも嫌な記憶として残りつづけるかというと、欲しいと思うものでないものに、或いは自分が望んでいるもの以上の対価を支払わされた、という気持ちがあるためです。

それは人間の心理として、お金を払う、ということが、どれほどの強い気持ちから発生するものなのか、ということを表しています。

相手も商売ですから、口八丁手八丁、様々なセールスをしかけてくるわけですけれど、たとえば「騙されるほうが悪いんだ」というふうな言い方をする人もいます。本当に嫌なら、断ることもできたからです。玄関の表札の横に「セールスお断り」とシールを貼ってある家も少なくありません。

それで今回の記事のテーマですけれど、そもそもセールスは悪でしょうか?

今述べてきたようなことを省みると、確かにいくらかの悪はそこには存在します。ぼくは二度とその電気屋では乾電池一本すら買いませんでしたし、他の受験大学で、同じような手口で声をかけてきた大学生を次からは無視しました。

本当のセールスをしましょう

本当のセールスというものは、いったいどのようなものでしょうか?

それは顧客が買ってよかった、という気持ちになるもの。そもそも強引なセールスをしなくても、顧客側から欲しい、といって買うものののことをいうと思います。そしてこれがセールスの本質だと思いますが、それが顧客にとってよきセールスであるのならば、顧客はそのセールスマンから再び次の別の商品を購入する、ということです。

営業が苦手だ、という人が、確かに多いです。でも、それをノルマを達成する、成績をあげる、会社に貢献する、というふうには考えず、顧客にリピートしてもらうセールスをするにはどうしたらいいか、と考えると、少し楽な気持ちになるんじゃないでしょうか?

無理矢理売りつけても、顧客は一度きりしか購入しません。いわゆる感情マーケティングです。そして、その後はいやーな感じが一生胸に残りつづけるのです。ぼくのように何年も経っても、社会人になっても、営業は嫌だ、と思うようになるのです。

商品は対面がなによりクロージング率が高いです。ものを売るのに営業は欠かせません。顧客のことを考えるだけじゃなしに、そのもう一歩先、お客様に更にもう一回買ってもらうにはどうしたらいいか、と考え、セールスに臨むことをお勧めします。

顧客は決してお金を支払いたくないわけじゃないのです。本当に欲しいものを、自分が望む形で、それを手に入れたいのです。本当のセールスマンの姿はそこにあります。

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