大江健三郎と村上春樹 万延元年のフットボールと戦後民主主義

『大江健三郎全小説』全15巻刊行!──入手困難な小説も収録した決定版

大江健三郎全集

これ、めちゃくちゃ欲しいけど、買わないだろうな…。

この全集のポイントなのが、講談社創業110年、というところ。

もともと、大江さんは、新潮、文学界でもっぱら書いていた人で、転換期になったのが、ノーベル文学賞受賞作となった『万延元年のフットボール』(1967)。これが、『群像』(講談社)での連載だった。

実際、『群像』でなければ、このぶっ飛んだ小説は、掲載許可が下りなかったはず。

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戦後民主主義と群像

新潮や文学界は、戦前から文芸誌が存続していたのに対し、群像は戦後が出発の文芸誌。つまるところ、群像は民主主義、左寄りである。今もそう。

大江健三郎=左翼、の印象が凄く強いわけだけど、じゃあ、最初はどうして群像に書いてなかったのか、というと、群像は文芸誌としては、当時、今もそうだけれども、完全に二流であったわけ。東大在学中にすでにスター作家だった大江健三郎に掲載を求めることは、新潮、文学界を差し置いてできなかったんだと思う。

でも、転換期がやってくる。それが1960年安保。日本全体が民主主義化されていく時代。具体的にいえば、アメリカにスポイルされていくとき。この内実を克明に描いた小説が、安岡章太郎の「海辺の光景」が代表作。読んで無い人は、読むべし。それで、『万延元年のフットボール』から、大江さんは、右寄りの新潮や文学界ではなく、左翼系の『群像』をもっぱら主戦場にして、小説の舞台をそっちに移していく。

これはうたがった見解だけれども、『万延』の構想をいったときに、新潮や文学界は、首を縦に振らなかったのではないか? とぼくは邪推しているわけ。

なぜなら、それはまさしく「戦後民主主義を死守する」というテーマだったから。

万延元年のフットボールのテーマ

主人公は、予備校教師の兄の蜜三郎と、アメリカ帰りの鷹四。この2人の兄弟は性格がまるきり違う。鷹四は積極的で、活動的であり、蜜三郎は孤独で、引き籠りがちな性格。

友人が奇妙な自殺方法で死んだことをきっかけに、蜜三郎は帰省した鷹四といっしょに一度田舎の四国に帰ることにする。互いにこれからのことをゆっくり考えようというわけ。

そしてそこで事件が起こる。

まず彼ら兄弟の祖先と関わる話が謎に満ちている。だんだん、それは伝承的な逸話に纏われていく。森の中に隠遁した曾祖父は、なにゆえそのような行動をとったのか? 小説は民俗学的なアプローチに接近する。

鷹四は地元の不良連中とフットボールチームを結成し、汗を流すことに日々を費やす。対して、蜜三郎は母屋に引っ込んで、夏目漱石研究に没頭することに思考を集中する。

やがて暴動が起こる。町のスーパーマーケットを鷹四たちが略奪するという犯罪を起こすのだ。だんだん彼らの攻撃の度合いはエスカレートしていく。蜜三郎は鷹四の本心がわからない。何故、彼らはそのような暴君と化していくのか?

鷹四は行動力のない兄の蜜三郎のことを「鼠」と揶揄して呼ぶ。(この「鼠」は村上春樹の初期作の登場人物に引き継がれていく。)

実は鷹四には過剰な暴力性に頼らなければ発散できないような理由があった。蜜三郎はただただ彼らの暴動を傍観して見ていく。それは100年前の明治維新の時代の相克と類似していく…。

鷹四は左翼なのか? 右翼なのか? 彼の本意はどこにあるのか?

万延元年のフットボールの真意

『万延元年のフットボール』は1967年に発表されている。この小説については、2年後にピークを迎える学生たちによる学生運動を予見したものだ、という先見性の眼目によく注視される言葉が飛び交う。

『万延』の最も素晴らしいのは、実際その点。歴史は繰り返す。大江はそのことを、登場人物の兄の蜜三郎の言葉を借りて、「柳田国男や折口信夫らの民俗学を通して学んだのだ」と書いている。

実際に鷹四が破滅していく結末と類似するように、1960年代の学生運動も連合赤軍に代表される破滅の終極に落下していく。そして戦後日本は完全にスポイルされた。「曖昧な日本という『私』」に。

大江健三郎の小説は、常に「戦争が終わった」ところから書かれている。彼は自他共に認める戦後民主主義者の旗手である。その後継者は村上春樹にほかならない。

そして、さらにその後発者として生まれ育ってきたぼくは、彼らふたりの小説を完全によし、とするポジションに一度も立ったことはない。

大江健三郎と村上春樹

村上春樹のデビューは1979年。春樹はいつノーベル文学賞をとるんだ? って毎年話題だけれども、『1Q84』以降の作品を読んでいる限り、もう無理なんじゃないかな、とぼくは思っている。

ただ、大江さんがとってるんだから、春樹さんがとってもいいんじゃないの? というのが、ぼくの見解。

大江健三郎にしても、村上春樹にしても、一流の作家じゃないから。大江がとってるんだから、春樹がとってもおかしくはない、というだけ。

大江健三郎や村上春樹より優れた作家は日本にたくさんいる。彼らはノーベル賞なんかとっていない。ノミネートすらされていない。ノーベル文学賞=B級文学賞、というイメージが、ぼくの中ではすっかり定着しているから、どうでもいい。

ただ、一流の作家でもとっている人がいるから、ややこしい。その人がまさしく川端康成。でも、谷崎潤一郎や、徳田秋声や、小島信夫がとってないんだから、どうでもいいクソ賞は必至。

『万延元年のフットボール』はそれほどの傑作か?

ぼくは一時期読書評で、読んだ小説に点数をつけていた。『万延元年のフットボール』は、85点をマークしている。確かに高得点なんだけど、傑作と呼ぶには今一歩足りない。

理由はテーマにあるのじゃない。さっきもいったように、このテーマは画期的であって、1960年代を舞台に、100年前の明治維新の頃と時代をシンクロさせて(小説内では、ぼくが遍在する時、というふうに大江は書いている)、戦後民主主義の是非を問うている。

問題は、小説の構成力にある。

大江さんの初期の傑作のひとつ「飼育」を読んだことのある人はわかると思うけど、中盤辺りから、小説が弛緩してくるのが、はっきりとわかる。これは大江の民主主義によりかかる思想と真っ直ぐ結ばれている。

最後に、自分の手と共に叩き潰される黒人兵にリアリティーはない。それはすでに「終わり」から書き始められているためだと思うのは、ぼくだけか? それ以前の「死者の奢り」は違った。大江はその時点では、まだ明確な戦後民主主義者の位置に立っていない。

『万延元年のフットボール』の傷は、「飼育」のときに見出された、民主主義の死守、の思想を一歩も脱け出していない。その小説の傷は如実に下手な構成力となって、表れている。

そもそも、最後は、主人公の蜜三郎の長い台詞の連呼になって、幕を閉じるわけだけれど、三文推理小説じゃないんだから、こんな終わり方は読者にとってサービス精神がなさすぎるんじゃないのか?

大江さんは文学には本当にまっすぐでひたむきだけれど、小説の技法に関してはすこぶる甘い。尊敬してやまなかったという、やはり戦後民主主義を代表するといえる大岡昇平の小説の緻密な作法とは、真反対にある。

なぜ、これほどまでに小説の技術に鈍感なのか?(文章は素晴らしい。構成が問題なのだ。)

ぼくは安定した中で書かれた小説は、小説、だと思っていないので、大江健三郎の傑作は、最初に芥川賞候補となった「死者の奢り」であり、それ以降ぜんぶダメだという立場。

『神聖喜劇』を書いた大西巨人は、大江のいいものは初期の『芽毟り 仔撃ち』辺り、でそれ以降はいいと思っていない、といっているけれど、同感。

つまり、大江は「飼育」以来同じ事ばかり書いている。一歩も前に進んでいない。(『性的人間』などの20代中盤の作品はことごとく失敗している。)

もちろんこれは、戦後民主主義への疑いがもたれることが可能になった現代だからこそ可能な見解かもしれなくて、それを問うことなく、大江批判をするのはフェアじゃないのもわかっている。

つまるところ、大江は戦後日本を代弁する作家であったし、それ以上でも以下でもない。村上春樹もその「牢獄」を脱け出すことができていない。

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