プロフィール

日本海に近い北陸の片田舎で育つ。冬は豪雪で、あばら家の壁の隙間からは、終始寒風が吹き込んでいた。父が、酒乱、賭博師、DVで、母がヒステリー、家事放棄、家出を繰り返していた。

大学入学のため、上京。それまで対人赤面症等で苦痛を味わっていたが、鬱屈していた神経症がさらに一気に吹きだし、ひきこもりになる。母が自分を頼って、父と離婚し、知らずに東京へ出てきていると知ったとき、この自分という人間を作り上げた、地獄のような血縁の運命からは、生涯逃れられないのだ、と悟る。

大学を中退。以降アルバイト生活に入る。

飲食店、工場、派遣の仕事等を転々として、社会の厳しさを否応なく知る。

大学に入り直して、卒業。哲学科→歴史学科→日本文学科を渡り歩いた。卒論は「大江健三郎論」。大江健三郎を初めて読んだのは、高校生のとき。自分にとって文学を開眼させてくれた貴重な小説家だったといっていい。卒論では、主に『万延元年のフットボール』について論じた。しかし、後は大江文学に対しては、批判的になる。

29歳に、大きな人生の転機となる事件が起こる。

兄が自殺。兄は中学途中で、家から捨てられていた。

それを契機に、ノートに言葉を書き殴りはじめる。プロ作家になりたい、という夢はなかった。木山捷平、小沼丹、小山清、のような小さな世界を描く短篇作家が好きで、(小山清は太宰治の弟子で、新聞配達のアルバイトをしながら小説を書いていた。)自分もアルバイト生活をしながら、兄のことを書こうと思った。小さな自分らしい短編作品をいくつか書いていければそれでいいと思っていた。

小説を書くインスピレーションを与えてくれた作家は、トルーマン・カポーティ。彼の初期の作品群『夜の樹』は、自分にとってとても大切な作品集で、当時は肌身離さず持ち歩いていた。

たまたま送った小説が、とある公募の小説賞を受賞して、作家デビュー。新聞に自分の顔写真が載り、書評家によるレビューも出た。書籍が刊行。雑誌にも作品が載った。

しかし、2作目の連載が決まったところで、編集者と衝突。小説をやめたい、と担当編集に告げる。そのときは辞めさせてくれなかったが、結局業界を去った。

辞めた理由は、業界の異常性に辟易したから。閉鎖的、すべてが事後報告、編集者が仕事をしない、嘘を吐く、パワハラをする。文芸を含めた芸術に関する教養も、ほとんど自分と変わらない低いレベルであることに愕然として、自分がいったいなにをやっているのか、わけがわからなかった。

再びアルバイト生活に戻る。資金を貯めて、起業する決意をする。

それからも小説は書きつづけ、10作分の作品が溜まったところで、10社の出版社に持ち込みをかけたが、どこも出版をしてくれるところはなかった。

親身になってくれる担当者がひとり現れ、以降親交を持つ。しかし、出版不況が襲う中、書籍刊行は難しい、といわれ、長らく本が出ない。

最初はライター業からはじめ、ネットビジネスで生計をたて、どこの会社にも所属しない生活をつづける。

これまでの最高月商額は、695万円。

週に一冊は本を読み、美術展覧会に通い、映画を観て、音楽を聴き続けている。(10代の頃はバンドでギターを弾いていた。)

将来の夢は、トルーマン・カポーティの『冷血』のような小説を書くこと。芸術は彼方にではなく、すぐ目の前にある。

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